2018.1.4

「リトルポイゾン(小さな毒虫)」と呼ばれていたポール・ラニアン。168cm、57kgとまさに小さな体で大男たちに立ち向かい、得意のアプローチでちくりと刺しては毒を効かせて倒してしまうのだった。

1934年にクレイグ・ウッドを全米プロで破り、翌’35年までにツアー16勝を挙げ、’38年には全米プロで大男の飛ばし屋、サム・スニードを8アンド7という大差で葬り去った。生涯50勝以上も挙げている、とんでもないゴルファーなのである。

スニードとの対決では、ドライバーショットで毎回50ヤードも置いて行かれながら、正確なフェアウェイウッドとアプローチでスニードのショットの内側に入れていく。「まるでマンホールに打っているかのような正確さだった」とスニードを唸らせた。

そのアプローチはどんなものかと言えば、どこからでも転がすというもの。グリーンから5ヤードでカップまで30ヤードあれば3番か4番アイアン、ランがキャリーの4倍の距離があるときは6番か7番アイアンで、2倍のときは8番アイアンだった。

打ち方はボールの近くに立って、両肘を曲げてクラブをパターのように吊し、ヒールを上げてトウ側でコツンと打つというもの。手首と両肘と両肩の5角形を崩さずに打つ5角形打法だ。ラニアンはピンが近いときにも、ウェッジのフェースを開き、この打ち方でフワッと上げて転がしたという。

ラニアンはツアーを退いた後はレッスンプロとして活躍し、93歳で亡くなる3週間前までアマチュアにレッスンをしていたという。

サム・スニードは全米プロの思い出を聞かれ「ラニアンから直接教えてもらったことはないけれど、あの試合はボクにとって大きなレッスンだった」と語っている。

PAUL RUNYAN

1908年米国・アーカンソー州生まれ、2002年カリフォルニアパームスプリングスで死去。17歳でプロ入りし、ツアー18勝を含め、生涯50勝以上も上げている伝説のゴルファー。エージシュートも数知れず、87歳のときに73上がった14アンダーの記録は世界記録にもなっている。’90年、ゴルフ殿堂入り。