「リトルポイゾン(小さな毒虫)」と呼ばれていたポール・ラニアン。168cm、57kgとまさに小さな体で大男たちに立ち向かい、得意のアプローチでちくりと刺しては毒を効かせて倒してしまうのだった。
1934年にクレイグ・ウッドを全米プロで破り、翌’35年までにツアー16勝を挙げ、’38年には全米プロで大男の飛ばし屋、サム・スニードを8アンド7という大差で葬り去った。生涯50勝以上も挙げている、とんでもないゴルファーなのである。
スニードとの対決では、ドライバーショットで毎回50ヤードも置いて行かれながら、正確なフェアウェイウッドとアプローチでスニードのショットの内側に入れていく。「まるでマンホールに打っているかのような正確さだった」とスニードを唸らせた。
そのアプローチはどんなものかと言えば、どこからでも転がすというもの。グリーンから5ヤードでカップまで30ヤードあれば3番か4番アイアン、ランがキャリーの4倍の距離があるときは6番か7番アイアンで、2倍のときは8番アイアンだった。
打ち方はボールの近くに立って、両肘を曲げてクラブをパターのように吊し、ヒールを上げてトウ側でコツンと打つというもの。手首と両肘と両肩の5角形を崩さずに打つ5角形打法だ。ラニアンはピンが近いときにも、ウェッジのフェースを開き、この打ち方でフワッと上げて転がしたという。
ラニアンはツアーを退いた後はレッスンプロとして活躍し、93歳で亡くなる3週間前までアマチュアにレッスンをしていたという。
サム・スニードは全米プロの思い出を聞かれ「ラニアンから直接教えてもらったことはないけれど、あの試合はボクにとって大きなレッスンだった」と語っている。