2018.12.13

端整な顔立ち、シックな着こなし、尊厳なるプレーぶり。富裕層で大学でのインテリ。なのに、プロゴルファーとなったヘンリー・コットン。

20世紀前半での英国では、賞金で生活をするプロゴルファーは卑しい職業の者と見なされ、クラブハウスに入ることさえ許されなかった。

それ故、プロの地位を向上させようとした米国人のウォルター・ヘーゲンは、ロールスロイスでクラブハウスに乗り付け、車内で豪華なウェアに着替えてプレー、全英オープンに優勝して、プロの力を見せつけた。

しかし、本当の意味でプロの権威を獲得したのは、自らが英国人であるヘンリー・コットンだった。彼は、1921年から’33年まで米国に持ち去られた我が母国の全英オープンカップを取り返したからだ。

’34年、ロイヤルセントジョージズで開催された全英オープン。コットンは正確無比なショットで初日67、2日目65という驚異的なスコアを叩き出して、圧勝した。

特にパッティングは感性を研ぎ澄ませて打つものだけに、見ている者の心を震わせた。そんな彼が言った言葉が次のこと。

「パットラインを読み取るのは、常に第一感が正しい」

確かに第一感を信ぜずに、考え直したラインでカップインすることは、我々アマチュアレベルにおいても稀だ。人間には思考よりも優れた感性が内在しているということなのだ。その感性を鋭敏にさせることこそ、パット上達の近道である。

コットンは生涯で3度の全英オープンに優勝している。「笑わない男」と言われ、ミラクルパットでバーディを奪っても、表情1つ変えず、ガッツポーズもしなかった。それはプレーに集中し、己を見失わないためだった。

HENRY COTTON

1907年英国チェッシャ州生まれ、1987年逝去。国内のゴルフ選手権に14歳で出場の最年少記録を作る。17歳でプロに転向。19歳でコース所属のプロに。全英オープン3回優勝の他、’36と’38には3位入賞。英国PGA選手権は’32、’40、’46と3回制し、2位2回。ライダーカップのメンバーに3回選ばれ、’53はキャプテンを任される。ベルギー、イタリア、ドイツ、チェコ、フランスの各オープンにも足跡を残している。