2023.9.27

[vol. 26]

心に残るゴルフの一冊 第26回


『あの虹に、ティーショット』
喜多嶋隆著  光文社文庫
ハワイの少女の成長を描く
爽やかなゴルフ青春小説

 今年の夏は異常に暑い。体温以上の気温になり、それが2カ月も続いている。こんなときは灼熱のコースでゴルフをするより、クーラーの効いた涼しい部屋で本でも読んでいたほうがいい。それも爽快な海風が吹くハワイが舞台のゴルフ青春小説となれば、気軽にさらっと読めてしまう。それが今回紹介する『あの虹に、ティーショット』である。夏向きのゴルフ小説だけど、秋になっても今年は暑そうだから清涼感を抱けそう。実際、漫画を読むようにどんどん読めてしまうライトノベルであった。
 著者の喜多嶋隆さんは1949年に東京都文京区に生まれ、板橋の都立高校から明治大学に進学し、卒業後はコピーライターやCFディレクターを務めていた。1981年に『マルガリータを飲むには早すぎる』で小説現代新人賞を受賞して小説家に転身、数多くの青春小説を角川文庫や講談社文庫、光文社文庫などの文庫オリジナル本を執筆している。これまでの約40年間に150冊あまりの本を出している人気作家である。
 私は喜多嶋隆さんのお名前だけは存じていたが、小説を読んだことはなかったし、これほどまでの作品があるとはまったく知らなかった。ゴルフ小説として『あの虹に、ティーショット』があることを知り、初めて読んだのである。この作品は2008年のものだが、聞けば芸能人ばりのファンクラブが2000年頃に発足していて、その後20年以上も経った今も尚、ファンを集めたイベントなどが行われているようだ。
 喜多嶋さんは、ハワイや湘南を舞台とする軽いタッチの恋愛小説やギャング小説、スポーツ小説などの青春ライトノベルや少女向けノベルなどを出している。私が若い頃によく読んだ片岡義夫さんのような、気軽に楽しく読める青春ものが得意な小説家と言ってよいのかも知れない。

主人公の少女は日経5世の16歳、奈加川友

 この本、『あの虹に、ティーショット』はハワイに住む日系少女、奈加川友の物語だ。喜多嶋さんの文章は稚拙だがわかりやすい。少年少女文学といった趣で、最初は文章の拙さにひっかかることもあったが、気にせずに漫画を見るように読めば展開がどんどん進むので面白い。それも難しい言葉も漢字もなく、物語も単純明快なため、半分眠っていても最後まで読めてしまう感じだ。ゴルフをしている中高生にも読みやすい1冊だといえる。
 主人公の友はみんなからユウと呼ばれているハワイ生まれの日系5世、16歳だ。祖父が経営するゴルフレンジを弟のケンと手伝っている。父と母はサトウキビ畑で多額の借金を作って夜逃げをして行方知らず。2歳になるユウとケンを祖父母に預けた。その後、祖母は交通事故で亡くなり、それ以来、祖父が一人で二人の孫を育てている。祖父は朝鮮戦争で足を負傷したため、満足に動けないので、二人の孫が練習場の労働を担っているのである。
 彼らの大きな仕事はボールの片付け。ゴルファーが打った多くのボールを集めるのだが、これがユウにとって一苦労。なぜならケンが喘息持ちのためにその仕事が大してできないからだ。7歳の時、ユウは納屋で錆び付いた古い3本のアイアンを見つけた。5番と7番とサンドウェッジである。
 一番短いサンドウェッジを手にボールを打ち始めたユウ。最初は空振りとトップばかりだったが、そのうち30ヤード飛ばせるようになり、徐々に70ヤードくらいまで距離が伸びた。グリップやアドレス、スイングなどは祖父の仲間たちがテレビでゴルフトーナメントを見ていたので、何となくわかっていたのだ。
 ユウはサンドウェッジで人並みに打てるようになると、それを使ってボールを集め出した。打席そばにカゴを置いておき、それを目がけて練習場に散らばっているボールを打つ。カゴのそばまで飛ばせられれば拾うのも楽だ。たまには入ることもある。遠くのボールは何回か打っていけば良い。200ヤード先の柵の外は誰も来ない砂浜。そこまで飛ばしたボールは砂浜からサンドウェッジで柵越え。それでバンカーショットも上手くなった。
 サンドウェッジが上手く打てるようになると、今度は7番アイアンを打ち出した。最初は100ヤードほどだったが、今では170ヤードまで飛ばせる。さらに5番アイアンも打ち出し、今では平均210ヤードの飛距離だ。カゴまでの距離はグリップの長さやスイングの大きさを変えて打つ。よって、3本のクラブで210ヤードまでの距離を打ち分けられるようになっていた。それも椰子の木はもちろん、ヤシの実まで当てられるほど正確にである。
 身長164cmの16歳少女が5番と7番でここまでの飛距離を正確に打てるのは、サーフィンで鍛えた肉体があるから。ユウの生き甲斐は幼い頃からやっていた波乗りで、ボードに乗って足腰は強くなり、パドリングで腕力もつき、何と言っても身体のバランス能力が優れさせた。だから、フェアウェイの起伏も言ってみれば波のようなもの。上手くバランスを取ってターゲットにボールを打てるというわけだった。それも初めてのコースであっても!

3本のクラブとビーチサンダルで試合に初参加

 ユウの練習場はローカルであまり人が来ない。故に家族は貧しい。夕食は毎晩スパムを使った料理である。練習場のボールも古く黄色く変色している。ある日、ロストボールを拾いにゴルフコースに潜入。それを見つかって、プロを目指していると嘘を言ったユウは支配人と勝負することになる。たった1ホールだが、支配人はハンデ3の腕前、ユウはコースで打つのは初めて。ユウが負ければ警察行きだ。絶体絶命のピンチだったが、ユウは借りたアイアンを使って、至難の林越えを見事にやってのけて勝ってしまうのだ。それもパットをサンドウェッジで行ってである。
 このことがあって、その支配人がユウの腕を見込んでジュニアのローカル試合に出場してみたらと誘う。「私が試合?」と思うユウだが、勝てばニューボールが10ダースももらえるとあって、ケンをキャディに従えて出場することに。当日はよれよれの着古したティシャツとショートパンツ、スパイク付きのビーチサンダルという格好。キャディバッグもなく3本のクラブで戦うユウ。周囲は奇異の眼差しでユウとケンを見るが、そんなことなどものともせずに正確なショットを連発、練習場のプロからコース攻略法を学んで来たケンの指示に従い、ユウはパーを取り続けて優勝してしまうのである。
 ユウの憧れはタイガー・ウッズ。このときの時代設定は2005年頃か。となれば、96年にプロに転向したタイガーが破竹の優勝を成し遂げ、スーパースターの地位を築き上げた頃。すでにマスターズや全米オープンなどのメジャー優勝を10回以上も挙げていた時だ。テレビを見る爺さんたちもタイガーファンであり、その強さの秘密をクラブプロと語っていた。それを聞いていたユウ。
「タイガーの強さはアイアンショットにあるの。ドライバーは彼よりもっと飛ばすプロはたくさんいる。でもタイガーが勝っちゃうのはグリーンを狙うショットが素晴らしいから。もちろんショートゲームもね」
 ユウはそれを自分にも当てはめる。ドライバーがなくたって勝てるのはアイアンが正確に打てるから。ドライバーを使って曲げる選手より絶対に強いはずという確信が持てたのだ。それが試合で勝った教訓だった。
 ユウはさらにケンとのコンビで翌週のジュニアトーナメントにも出場する。今回の優勝商品はスーパーマーケットの商品券500ドル分。勝てばビーフステーキが食べられると特にケンは気合いが入る。しかも祖父の友人たち3人の爺ちゃんがゴルフシューズを買ってくれたのだ。「優勝したら俺たちもステーキが食べられる」と。胸に熱いものが込み上げるユウは、この大会でも3本のアイアンで優勝してしまう。それも金持ちで幼い頃からゴルフを学んで来たゴルフアカデミーのトップ選手を撃破しての優勝だった。
 もちろん、ユウがそうした選手を相手に簡単に勝てたわけではない。これまでの試合でも突風が吹いて打球が谷に落ちたことがあるし、この大会ではボールに泥が付いてしまい、グリーンを外してピンチを招いたこともある。しかしそのたびにユウは「まっ、しょうがない」とプレーした。決して怒らず落胆せず、平然と次のショットに立ち向かって行った。これはユウが自然相手のサーフィンをやっていたからに他ならない。いつも天候がいいわけではないし、いい波が来るわけでもない。上手くできるかは時の運であることを知っているユウは、ゴルフでも同じように思えることができたのである。
 <In God’s Hands>「運命は神の手の中にある」
 サーファーがよく言う言葉、それはゴルフにも当てはまるのである。

大人と一緒にレディスオープンに出場

 ユウの2大会続優勝は大きなニュースとなった。それも3本のクラブで勝ってしまったのだから尚さらである。初めての大会でのビーチサンダルの話も含まれ、いきなりのシンデレラガールの誕生というわけである。新聞の取材を受けて、ハワイのちびっ子にゴルフを教えることにもなったユウは、多少なりともレッスンフィをとることもあって、必然的にプロゴルファーになってしまった。
 プロゴルファーのユウは大人の大会、「ホノルル・レディース・オープン」にエントリーした。ホノルル最大の大会から招待状が来たからである。話題の天才少女なのだから当然のことだったが、ジュニアの大会とは比べものにならない豪華な大会であり、ハワイの企業が協賛して賞金も多額であった。プロアマ問わず、オアフの女子ゴルファーナンバーワンが決まる大会だった。
 舞台はカイマナ・ゴルフコース。ウォーターハザードがたくさんある、しかもグリーンがとてつもなく速い至難のコースである。ユウはこのコースを攻略する方法として、サンドウェッジでのパットでバックスピンをかける方法を見つけ出した。いつもはボールの赤道を打っていたサンドウェッジのパットを、その赤道よりも少し下を打つというものだった。
 さらにはインテンショナルフックも身につけていた。練習場のど真ん中にある椰子の木に当てずにボールを回り込ませるショットである。椰子の木の真裏にあるカゴに向かってボールを打つために自然と身につけた技だった。
 これらの技を持ってユウは大きな大人の2日間トーナメントに挑んだ。心には燃えるものがあった。それは、祖父の仲間の三爺の一人が入院して、自分の活躍を期待してテレビ中継を見ると言ったこと。もう一つはボーイフレンドのサーファーである洋二が理不尽な判定でサーフィン大会の優勝を逃して腐っていたからだった。
「私のゴルフでみんなを元気づけたい」
 こうして初日が始まった。3人一組で、ユウは19歳のミッシェルと20歳を超えているキムと一緒だった。もちろん二人とも14本のクラブでコースを攻略する。ティショットから大きく距離を引き離されるユウ。しかし3本のクラブしかないのだから仕方ない。飛ばなくても正確性がある。しかもクラブ選択に迷うことがないのが強みだ。全員、池を避けながら必死にパーをキープしていくが、ハーフに3つある特に至難のホールがスコアを分けていく。ユウはこうしたホールではわざとバンカーに入れるなどの作戦で食らいつく。
 初日が終わり、首位はダイアン・ハリントンで2アンダー。ゴルフアカデミーのエースで前年のチャンピオンでもある欠点のない選手。そして2位が1アンダーのユウ。多くの選手が池に入れたのに、ユウは1回も池に入れなかった。インタビューされてユウが言った。
「私、ボールをたくさん持ってないので」
 こうしたジョークが言えるのもユウのいいところである。
 さて優勝が決定する2日目。カップ位置が前日よりさらに難しくなった。攻めたいが少しでもミスすれば池の犠牲になるポジションだ。ユウの爺ちゃんが日本のお守りを持たせてくれた。ギャラリーもマスコミも大勢。
 スタート前で顔を合わせたダイアンが、「1打差で追い上げてくる選手がいますが」のインタビュアーの質問に答える。
「ああ、クラブを3本しか持っていないお嬢ちゃんね」
 この言葉が聞こえたユウはムカッと来て本気(マジ)になった。
 ダイアンは綺麗なフォームでティショットを250ヤード以上かっ飛ばす。同じ組のユウとは50ヤードの差。でも正確なショットで食らいつく。両者バーディとパーで一歩も引けを取らない。難ホールも慎重にパーを取っていく。
 後半戦のスタートで虹が出る。
「あの虹に向かってティショットを打つんだわ」
 ユウの心は震えた。武者震いだ。両者バーディの応酬でまるでボクシングの試合のよう。16番を終わって1打差のまま。17番でクラブに迷ったダイアンはボギーを初めて叩く。ユウはパーで、ようやく追いついた。残るは18番最終ホール。両者2オンでカップまで5mの距離を残す。ラインはカップを越えて急激に下る難しいもの。少しでも強ければ池ポチャだが、弱すぎれば3パットもあり得る。
 僅かに遠いユウが先に打つ。サンドウェッッジを持ち、赤道の下をヒット。誰もが強いと思った1打はカップ手前でバックスピンがかかり、10cmにつけた。ユウは疲労で軽い目眩に襲われる。これを見たダイアンのパットはいかに。入れれば優勝である。果たしてどうなるか?そして、ユウの3連勝は成し遂げられるのか?
 そうは甘くない女子トーナメント。2度あることは3度あるのか?3度目の正直になるのか?それは皆さんのために、読んでのお楽しみとしましょう。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は1985年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。