2018.9.20

[vol. 004]

全英シニアオープン参戦記
ウェールズ / カーディフ、ブリストル


旅するひと = 三田村昌鳳

ゴルフジャーナリスト。
95年米国スポーツライター・ホールオブフェイムなど受賞多数。日本ゴルフ協会オフィシャルライター、日本プロゴルフ協会理事。日蓮宗の僧侶として自坊(神奈川県逗子市・法勝寺)の住職も兼ねる。

目が覚めると、激しい雨が降っていた。
ベッドから起き上がろうとしても体がいうことをきかない。
今から1年と少し前。場所はウェールズ。2017年7月のことである。

ようやく起き上がって窓の外を眺めた。
「昨日でなくてよかった。こんな激しい風雨の中だったら……」と、僕はリンクスで格闘した昨日のことを思い浮かべていた。

雨の朝から遡ること2カ月半前。マスターズの取材から帰国してしばらくした頃に、雑誌『Number』の副編集長が「全英シニアオープンのプロアマに出ませんか?」と言って来た。僕は即座に快諾した。場所がウェールズということ(スコットランド、イングランドはあちこち行ったけれど、ウェールズは一度も訪れていなかった)。そしてコースがロイヤル・ポースコールだということ(1895年開場、設計はハリー・コルト)が決め手だった。

プロアマ出場は日本では経験がなく、過去にセントアンドリュースで開催されたダンヒルカップ国別対抗戦の一度だけ。以来、20年ぶり2回目の挑戦である。この素晴らしい夢のような、そしてどこか悪夢をも予感させるウェールズへの旅が何をもたらすか。ジョージ・プリンプトンの著書『ボギーマン』とまではいかないまでも、何か原稿が書けそうだ、と僕は考えていた。

ロンドンから西へ車を走らせ、Severn Bridge(セブン・ブリッジ)を渡るとウェールズ。スコットランドよりも明るい印象を受けるのは陽気な人が多いせいか。カメラを向けると誰もが人懐こい笑顔で応えてくれた。

大会スポンサーのロレックスのホスピタリティは、実に行き届いていた。空港からのトランスポーテーションはもちろんのこと、宿泊先には、まるでお城のようなホテルが用意されていた。あまりに完璧なもてなしに、ちょっと例えは悪いが、僕は心地よい軟禁状態に置かれたような気分になった。

ホテルではすべてがコンプリメンタリーで、ガーデンパーティからディナーまで相変わらず5時間近くを費やしたものの、決して肩苦しくはなく愉しめた。出席者はR&Aのピーター・ドーソン、テニスのフェデラーの両親、BBCの女性キャスター、ライダーカップのキャスター、元レーサー、設計家のR.T.ジョーンズJr.等々50人近く。僕は愛用のコンパクトカメラを持っていたけれど、僕以外の方たちは決してそんな野暮なことはなさらないようだった。

宿泊先のMiskin Manor Hotel(ミスキン マナー ホテル)。19世紀に建てられた邸宅が使われており、エドワード8世らも訪れた歴史を持つ。館内はすべてのしつらえがソフィストケイトされ、重厚感もたっぷり。客室には大会からのメッセージカードやツアーバッジ、記念品の数々が用意されていた。ウェールズの首都カーディフ郊外にあり、ロンドンからは車でおよそ2時間。海辺の町、Swansea(スウォンジー)にも近い。

コースは、最終18番をパー5で終わらせるためにホールNo.を変更していた。クラブハウス前の1番が2番となり、そこをクロスしているホールが1番。ヤーデージブックを手にしていても最初は戸惑った。8時からワンウェイのスタートで、僕は10時00分。ちょうど中間のスタート時間だった。もちろん強い風は普通に吹いているが天気は快晴。帯同キャディがいて、そのビブには『MITAMURA』と記されている。もはや文句のつけようも、言い訳のしようもない舞台が揃っていた。

パートナーとなるプロは、Paul Eales(ポール・イールズ)。今はロイヤルバークデールの所属プロをしているが、もともとはロイヤル・リザム&セントアンズのアシスタントプロで、ヨーロピアンツアーにも参戦している。とてもジェントルな人だった。

ほんの2、3分お互いに自己紹介やらコースの話やらをしていると、お決まりのトロフィを前にした記念撮影。そしてプロからティショットする。1番はフェアウェイの向こう側に荒々しいブリストル海峡が広がって、途中から一気に打ち下ろす425ヤードのパー4だ。

僕の名前がアナウンスされて、いよいよスタート。何故か緊張感はなく、「あー、これから辛い1日が始まるのか」と冷静だった。

海からの風は僕に向かって止まることなく吹いている。それは車の窓を開けて顔を出した時と似ていて、ティアップして構えると一気に左側の頬が冷たくなる。とりあえずボールが前に進めば良し、と開き直った。そうして放ったボールは思ったよりも高く舞い上がったが、何とかフェアウェイ右サイドのややラフへ。上出来じゃないかとニンマリしながらプロと一緒に歩き出す。その気分の何と清々しいことか。

途中からはドライバーを捨てて3番ウッドでティショットして、これが功を奏した。なんでもっと早く切り替えなかったのだろうと後悔したが、アマチュアで、距離が400ヤード以上あるパー4で3番ウッドを持つという決心はなかなか起きないものだ。「おいおい、ドライバーより飛んでるぞ(笑)」と、皮肉、いや本心で喜んでくれたのはパートナーのポールだった。

ミスキン マナー ホテルから約30分。Royal Porthcawl Golf Club(ロイヤル・ポースコールゴルフクラブ)はウェールズ屈指の名門。全英シニアオープンの他、ライダーカップ、全英アマ、ウォーカーカップなど数々のトーナメントの舞台になっている。プロは別の場所に仮設のロッカー、プレーヤーズラウンジがあり、小さなクラブハウスは僕たち専用。朝食をとり、コーヒーをすすって昨日知り合ったばかりの招待アマ選手と会話する。その雰囲気がとてもいい。

かつて中部銀次郎さんから「試合前にやった練習の2割が発揮できれば十分」と言われたことがある。2割か……。そうだよなぁ。見栄を張っても仕方ない。2割、2割と第2打地点へ歩く道すがら、言い聞かせた。心の持ちようとはよく言ったもの。それだけで気分が軽くなった。

旅立ちは、いつだって不安と期待が交錯する。

その感情のひとひらの勇気を手繰って一歩を踏み出していくのだ。

いまある自分のそれ以上でも、それ以下でもない自分自身をはっきりと見極めて、自分の歩幅を慈しみ、冷静な判断の一歩を始めていくのだ。

ミスも許そう。ナイスショットも自分が放つボールの行方は、成否を問わず等身大の自分。

かつて僕が書いた文章だ。
ウェールズの空を見上げていたら、ふとこの文章を思い出し、言葉の一つひとつが身に沁みた。

ロレックスのオフィシャルカメラマンがずっと張り付いていたと思ったら、あとで写真集が送られてきた。なんと僕専用の特別編集だった。

Pickup Item

ゴルフのオリジンとも言える国でのプレーには、尊敬の気持ちを込めて彼の地の発祥のモノを持参したいもの。その地で古くから愛用される革を使用したスコアホルダーやニットのヘッドカバー、マナーの証の目土袋。ゴルフを生み出してくれたことへの感謝も込めて。