2024.1.24

[vol. 062]

キューバ、南アとオーガスタ


旅するひと= 長濱治

ながはま・おさむ/写真家。1941年名古屋市生まれ。多摩美術大学卒業後、立木義浩氏のアシスタントを経て独立。60年代末から主に海外のカウンターカルチャーやロック音楽を題材とし、ファッション、広告、ポートレートなどの分野でも活躍。近著にピーター・バラカン氏との共著『Cotton Fields』(トランスワールドジャパン)、作家・北方謙三氏を40年以上撮り続けた『奴は…』(トゥーヴァージンズ)など。ジャズ、ブルースに造詣が深く、自身でテナーサックスの演奏も。ゴルフ歴38年、ベストスコア78。

エクアドルとキューバでゴルフ場を探し出す

メキシコ湾を望むバラデロ・ゴルフクラブ。元は米国デュポン財閥のプライベートクラブだった。

これまで方々でゴルフをしてきました。バイクレースで知られるイギリスのマン島では、島で一番難しいと言われるコースをプレーしました。何が難しいって、あり得ないほどの風が吹くんです。当時、「90なんて叩く気がしない」と豪語していた私が、買ったばかりの1ダースのボールを4ホールで使い果たし、足はブッシュのトゲで血まみれに。人生初のギブアップをした思い出の場所になりました。

南米エクアドルでは着陸態勢に入った飛行機から見つけたコースに空港から直行したことがありました。空港で出迎えてくれた方が「あなたが見たのは確かにゴルフコースです」、しかも「私はそのコースの会員です。今から行きますか?」と言うんです。
東京から1日以上かけてようやく着いたばかりで両替もしていませんでしたが、「米ドルが使える」、「道具も行けば何とかなる」と聞けば断る理由などありません。「本気かよ」とあきれる同行の西木(作家の西木正明氏)はホテルへ、私はメンバー氏の車でゴルフ場に向かいました。

そこはグアナヒルカントリーという立派なコースでロケーションも申し分ありません。あるホールで「どの方向に打てば?」と聞いたら「アンデスの中腹狙いで」という答えが返ってきました。今まで聞いた中でもかなり気に入っているアドバイスです。

キューバの首都ハバナでは50~60年代のアメ車が今も現役。右はハバナ発祥のカクテル、モヒート。

1995年には雑誌の取材でキューバに行きました。北方(作家の北方謙三氏)と飲んでいた時に、社会主義国家であんなに明るく楽しい国はないだろうと話をするうちに、じゃあ行ってみようかということになったんです。

旅のテーマは2つ。まずコヒーバです。当時の自由圏、特にアメリカではほとんど手に入らない葉巻を北方は買って帰りたいと言います。キューバ政府が各国の高官への贈り物に使うとか、庶民の手にはほとんど渡らないと言われていましたが、政府観光局のガイドさんがついてくれたおかげで最終的に工場まで辿り着き、入手することができました。
そしてもう1つはヘミングウェイです。ヘミングウェイゆかりの場所を訪ね、彼が実際に通っていた店でモヒートを飲もうと決めて、これも難なくクリアすることができました。

首都ハバナから車で3時間ほどの人気リゾート地、バラデロ。およそ28kmにわたって真っ白な砂浜が続いている。

取材中、バラデロという海沿いの町がきれいだというので車を走らせていると、なだらかな丘に野菜畑が連なる景色に出くわしました。その地形になんだか見覚えがあるので、「ここ、もしかしたらゴルフ場だったんじゃない?」とガイドさんに聞くと、やはりその通りでした。かつてこの辺りはアメリカの富裕層御用達のリゾート地でゴージャスな別荘がいくつも並んでいましたが、革命後、政府に接収されて姿を変えたという話でした。

ところがこれには続きがあって、2年後、再び雑誌でキューバ特集を組むことになりバラデロを訪ねると、あの野菜畑は見事にゴルフ場に戻っていました。バラデロ・ゴルフクラブという、キューバでも指折りのコースとして営業しており、近年は周辺に5つ星ホテルも進出。世界中から観光客が訪れる人気のリゾートエリアになっているそうです。

現在のバラデロ・ゴルフクラブ。右はホテル&クラブハウスの『ザナドゥマンション』。1930年築のデュポン家の邸宅が使われている。

オールドコースでメジャー初取材

全英オープンの撮影で訪れたセントアンドリュース・オールドコース。

ゴルフを始めたのは44歳になってからです。それまで全く関心がなかったのですが、ゴルフ好きだった親父の遺品を整理していたら愛用のクラブセットが出てきて、キャディバッグに私の名前を書いたタグが付いていたんです。親父の手書きでね。
ああそういうことか、やらせたかったのか、いや一緒にやりたかったのかもしれないと思い、引き取ることにしました。

しばらくして、当時ポパイの編集長をしていた石川次郎が「東京よみうりで大きな大会がある。来日したプロの撮影を頼む」と言ってきました。1986年に開催された世界4大ツアーの団体戦、ニッサンカップです。彼は「最近はアスリート系の選手が活躍し始めている。彼らだけ狙えばいい」と言います。
実際にコースでカプルス、ノーマン、ファルドらを追いかけてみると、それまでのプロゴルファー像とはプレースタイルもファッションも明らかに違い、石川の言っていた「ゴルフはこれからもっと面白くなる」という意味が分かったような気がしてきました。

自分も遅ればせながらゴルフを始めてみたい。そんな気持ちがようやく湧いてきたのもこの頃です。どこかのインタビューを受けた時、「今、ハマっているものは?」と聞かれ、「40も半ばになって恥ずかしいけどゴルフを始めたらこれが結構面白くて、ちょっとハマってます」と答えたことがありました。
するとこの記事を見たゴルフダイジェストのある役員が「ゴルフ雑誌の仕事をお願いできませんか?」と連絡してきました。場所はセントアンドリュース、1990年の全英オープンの取材です。これが初めての海外メジャーの仕事になりました。

プレー後のオールドコースは町の人達の散歩コース。夕日を眺めたりピクニックをしたり、のどかな雰囲気に。

翌91、92年はマスターズの撮影でオーガスタナショナルにも行きました。練習日よりもさらに早く現地入りしてコースを撮っていた時のことです。めちゃくちゃ上手い男性の2人組がやってきて、その1人が「今日は友達と記念のラウンドなんだ。写真を撮ってくれないか」と言うのでパチッと撮って、あとでプリントして送ることにしたんです。

帰国後、言われた住所に発送しようと宛名を見ると、Tomと書いてあります。もうおわかりでしょう(笑)。ああそうか、あの人がトム・ワトソンだったのかとようやく気付いた次第です。
ともあれワトソン氏は喜んでくださったようで、後日、お礼の品が送られてきました。映画スターのブロマイドのような写真に熱いメッセージとサインが書き込んであり、立派な額に収められています。ありがたく頂戴し、しばらくの間、事務所に飾っておきました。

それから20年近く経ったある時、都内のホテルのロビーで偶然、ワトソン氏と再会したことがありました。私の顔を見るなり近づいてきて、「あの時は写真をありがとう」と言うんです。一度会ったきりなのに20年近く前のことを覚えていたのには本当に驚きました。

南アでゲーリー・プレーヤー氏と

ヨハネスブルグから車でおよそ2時間の巨大リゾート『サンシティ』。タフな2つのチャンピオンシップコースを擁している。

南アフリカでも面白い経験をしました。1996年、サンシティという大規模リゾートの取材に同行した時のことです。ここには欧州ツアーのネッドバンクゴルフチャレンジ(前・ミリオンダラーチャレンジ)を開催しているゲーリー・プレーヤーカントリークラブがすでにあり、当時2つめのゴルフ場を造成中でした。

ある朝、リゾート内のホテルで食事をしていると、近くのテーブルから1人の男性がやってきて、「オハヨウゴザイマス」と声をかけてきました。ゲーリー・プレーヤー氏です(初対面でしたが今度はすぐにわかりました)。
「今、私はここでコースを造っているのですが、よかったら見に来ませんか?」というお誘いでした。

ロストシティ・ゴルフコース(18ホール・6983メートル・パー72)。写真は名物ホールの13番(180m・パー3)。アフリカ大陸の形をしたグリーン奥の池にワニが生息。なかには体長2メートル近いクロコダイルも。

突然の話に少々面喰いながら付いて行くと、外にヘリコプターが待機しています。あっという間に離陸し、数秒で眼下に新設コースが見えてきました。
「あれを見て!」とプレーヤー氏が指さす先にパー3ホールがあり、グリーン奥が池とビーチバンカーになっています。あそこに打ち込んだら厄介だなと思いながらファインダーを覗くと何かが動きました。なんと、池の周りにワニが何頭も寝そべっているんです。

びっくりして着陸後、あのワニはいったい…?と尋ねると、「わざと入れたんだ」という答えが返ってきました。「ナイスショットも常に危険と隣り合わせ。そのスリルを味わってもらいたくてね」と。そのくらいの覚悟で打ちなさいという意味だったのだと思います。

それから6年後、千葉県のゴルフ場のクラブハウスで来日中のプレーヤー氏に偶然再会したことがありました。彼は私の顔を見るなり近づいてきて、「新しいコースは完成しているよ」「で、君はいつ来るんだい?」と言うのです。数年前、ほんの15分くらいしか会っていないのに、ワトソン氏同様、恐るべき記憶力です。頂点を極めた人達のすごさにあらためて感服した出来事でした。

キューバの人気観光スポット
  • 革命広場
    ハバナ新市街にある世界最大級の公共広場。内務省の壁に英雄チェ・ゲバラ、情報通信省の壁にカミロ・シエンフェゴス(ゲバラと共にキューバ革命を指揮)の顔が描かれている。
  • アリシア・アロンソ・ハバナ大劇場
    1837年建造(旧・ガルシア・ロルカ劇場)。バロック建築の壮麗な劇場で国立オペラ団や国立バレエ団の公演が行われている。『ハバナ旧市街とその要塞群』として世界遺産に登録。
  • エル・フロリディータ
    ハバナで200年以上に渡りハリウッド俳優やアーティストらに愛されてきたバー。ヘミングウェイは約20年間通ってこの店のダイキリを愛飲。店内に銅像が置かれている。
  • ラ・ボデギータ・デル・メディオ
    ハバナで最も有名なレストランの1つでこちらもヘミングウェイの行きつけ。黒豆や豚肉を使った典型的なクレオールメニューや、モヒートなどを楽しむことができる。
  • コヒマル
    ハバナの東約7キロにある小さな漁村。小説『老人と海』の舞台になり、ヘミングウェイの愛艇ピラール号も停泊していた。港近くの公園に記念碑が建てられている。
  • サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
    サンティアゴ・デ・クーバ郊外にある要塞。海賊の襲撃などから防衛するため建設され、現在はカリブ海を望む絶景スポットに。1997年、世界遺産に登録された。
Find Information
バラデロ・ゴルフクラブ
18H 6269m P72
開場/1931年 設計/ハーバート・ストロング、レス・ファーバー
キューバ初の18ホール。海に直接つながる塩水湖を取り入れたデザインで、1999年と2000年には欧州ツアーのシーズン最終戦『ロレックス・チャレンジツアー・グランドファイナル』も開催された。
サンシティ
南アフリカを代表する総合リゾート。広大な敷地にゲーリー・プレーヤーカントリークラブとロストシティ・ゴルフコース、5つ星ホテル、カジノやショーなどのアトラクション、人工ビーチ、スパなどが点在する。
南アフリカ観光局
色とりどりの魅力を放つ“虹の国”、南アフリカの観光局が運営する公式サイト(日本語)。旅のプランやお役立ち情報など内容充実。
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海外ゴルフはハードルが高いと言われますが、一度経験するとぐっと行きやすくなります。旅先での出会いと同様にちょっとした勇気で新しい体験が増えますね。
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