ゴルフ場設計家、評論家。1944年東京生まれ。オハイオ州立大学留学後にゴルフを始め、霞ヶ関CCの倶楽部チャンピオンに。日本アマ、日本オープン等に出場し、JGA委員、ナショナルチームの団長・監督、海外メジャー競技の競技委員、米ゴルフ誌『世界のベスト100コース』選定委員等を歴任。現在は日本ゴルフコース設計家協会理事長、株式会社T&Kインターナショナル代表取締役。設計・監修したコースは国内に22、うち9コースでメジャー競技やツアー競技を開催している。R&A正会員。2013年、パインバレーGC初の日本人会員となった。
ホニアラの思い出
ガダルカナル島のボネギビーチ。今は沈船が魚達の棲み処になり、シュノーケリングスポットとして知られている。
今から半世紀近くも前の1972年10月のこと。車を輸出する仕事をしていた私はガダルカナル島のホニアラにいた。オーストラリアの北東、南太平洋に浮かぶ大小900の島からなるソロモン諸島の首都である。シドニーからポートモレスビーを経由して月曜に入り、仕事を済ませて2日後の水曜にナンディ(フィジー)→ホノルル(ハワイ)と乗り継いで、最終的にシカゴに行く予定だった。ところが水曜の朝になってフィジーに猛烈なサイクロンが襲来、空港がクローズしてその日の予定はすべてキャンセル。ホニアラで足止めを食うはめになった。
滞在先のホテルは、緑の中のメイン棟とは別に海に面した客室棟があり、私はそこを選んでいた。仕方ない、暇つぶしにひと泳ぎするかとビーチに下りると、立て看板に『Because of sharks, swimming in this water is unsafe. 』と書いてある。さてどうしたものかと思いあぐねていると天の助け、ホテルの支配人が「この島にはゴルフ場がある」と言う。早速、お世辞にもきれいとは言い難いドライバーと9番アイアンとパターを借り、支配人の案内でコースに向かうことにした。
島はかつての太平洋戦争の激戦地。道すがら、ビーチに錆びた上陸用舟艇がまだ残っているのを見かける、そんな時代である。辺りは兵隊さんがいつ出てきてもおかしくないようなジャングルが広がっていた。
ホームコースの霞ヶ関カンツリー倶楽部にて。
さて1番ホール。ショットがバンカーにつかまった、と思ったら同伴の支配人が拍手をしている。バンカーと思った場所は、実は砂を盛り上げただけのグリーンだった。砂漠の国にも砂を油できれいに固めたグリーン(『ブラウン』と呼ぶ)があるが、そこまでのクォリティは残念ながらまったくない。
ホニアラの“ブラウン”にはレーキのような道具が常備されていて、まず自分のラインを平らにならしてから打つ必要があった。ファーストパットは強めに打ったつもりだったがボールはジョリジョリと音を立てて重そうに転がるだけでちっとも届かない。結局4パットした。ベアグラウンドだらけのフェアウェイにも苦労したが、2番ホールからは地面を這うようなショットでランを出す作戦に出たらこれが功を奏した。結局、9ホールを41で上がったら「こんなに上手な人は見たことがない」と驚かれた。
その後、世界各地で数え切れないほどのコースをプレーする機会に恵まれたが、あの日のゴルフは今も強烈に記憶に残っている。ちなみにこのコースは今も営業中。現在は整備され、地元ゴルファーや駐在員達の憩いの場になっているそうである。
現在のホニアラ・ゴルフクラブ。ラウンドは歩きが基本で、希望によりキャディ(現地の少年が手押しカートでクラブを運搬)を付けることも可能。クラブハウスにはサンドイッチ、ハンバーガーなどを食べられる軽食コーナーとバーがある。
大阪に行ったら、夕食は肉!
茨木カンツリーに行ったら、夕食は肉!
最近は大阪の茨木カンツリー倶楽部に行くのが楽しみだ。ホームコースである霞ヶ関の姉妹倶楽部であり、メンバーやスタッフに知り合いも多い。倶楽部設立は日本で9番目に古い1923年(大正12年)。その2年後にダビッド・フードの設計で旧コース(現・東コース)が開場した。フードは豪州、フィリピン、日本、カナダ、アメリカで活躍したスコットランド出身のプロゴルファーで、昭和天皇のゴルフのコーチも務めた人物である。開場の翌年には日本初のプロゴルフ競技、関西プロフェッショナル争奪戦(後の日本プロゴルフ選手権)を開催するなど数々の主要競技がここから生まれてきた歴史がある。
一方の西コースは1961年、井上誠一の設計で開場し、日本オープンなどをたびたび開催。2011年にはリース・ジョーンズによる大改造が行われ、239日間に及ぶ工事の末、2グリーンから1グリーンに移行した。チャンピオンシップティから7407ヤードの距離と、76.1というコースレートの高さは国内有数で、近年はアジアNo.1プレーヤーを決めるアジアパシフィック パナソニックオープンの舞台にもなっている。
茨木には愉しみがもうひとつ。ゴルフをした帰りにほぼ必ず立ち寄る場所がある。吹田東の住宅街にある『いやしん坊』という名の小さな店で、競技開催に合わせ来日したアジア太平洋ゴルフ連盟の関係者とどこで食事をしようかとなった時、茨木カンツリーの副支配人に教わった。評判はすこぶるよく、「こんなに美味しい肉は食べたことがない」と皆、大喜び。味にうるさい関西の設計者協会の連中にも知れ渡り、今では彼らの根城になっているようである。メニューは焼肉、ステーキ、ホルモン、何でもあり。店主目利きの上質な肉をこれでもかというほど出してくれて会計は実にリーズナブル。名店・高級店がひしめく関西で近頃、私が肉を食べるのは専らここである。
茨木カンツリー倶楽部の名物ホール。左=ティの前に駒ヶ池がせり出す東コース18番パー4(384~455Y)。フロントからでも412ヤードと距離もたっぷり。右=西コース14番は4つの小さな滝が連続する風光明媚なパー3(116~181Y)。ティグラウンドのプレートに改造設計を手がけたR.ジョーンズの名が刻まれている。
世界のベストコース
パインバレー・ゴルフクラブ18番パー4(483Y)。グリーン手前のバンカーの前には池が横切っている。
海外ではサイプレスポイントクラブ(米カリフォルニア州 アリスター・マッケンジー設計)が素晴らしいコースだった。海越えのパー3が2ホール連続する15、16番が世界的に知られている。ここを初めてプレーした時のスコアはダブルボギーが3つの78だった。その話をクラブデザイナーのロジャー・クリーブランド氏にしたところ、彼が「ダボを叩いたホールを当ててみせようか。3つともインだろ?」と言い、「12、14、17番だな」と3ホールとも正確に当てたのには驚いた。「お前のゴルフなら絶対あそこだと思ったよ」と彼は鼻高々だった。
セミノールゴルフクラブ(フロリダ州。ドナルド・ロス設計)も印象に残る。プレーしたのは91年のこと。4年に一度のルール改正委員会はいつもR&Aで行うのだが、その年だけ、湾岸戦争の影響で急きょアメリカのウエストパームビーチに場所が変更になった。ミーティングのスケジュールを見ると、ある日の午後に『Golf at Seminole』と書いてある。これは行かねば!と参加した。1929年に開場した全米有数のプライベートクラブで、大西洋に面したコースはサイプレスポイントと同様、世界ランキングの常連。2021年にはウォーカーカップ(英米対抗戦)が開催されることが決まっている。
ゴルフコースの良し悪しを決めるのは、全体のバランスだと思う。景観は人により好き好きがあるが、バランスに関してはそれもない。ここは素晴らしいコースだなと思ったところで決まっていいスコアが出るのもそのせいではないかと思う。セントアンドリュース・オールドコース然り。そして、パインバレーゴルフクラブ(ニュージャージー州)を初めてラウンドした時もそうだった。
岡本綾子さんがLPGAの賞金女王になった1987年、彼女の出場する全米女子オープンを観た翌日に、パインバレーをラウンドできるチャンスが訪れ、ニューヨークから駆け付けた。厳格な会員制を貫き、世界におよそ800人いるとされるメンバーは非公開。トーナメント開催は1936年と85年のウォーカーカップ以外、目立った記録なし。よく知られているのは世界一難しいと言われていること、サイプレスポイントやオーガスタナショナルをおさえて、世界ランク№1に君臨していることくらいである。
フィラデルフィアからアトランティックシティに向かう途中の、周囲に何もない田園地帯にそのコースはあった。クラブ創設は1913年。創始者であり設計者でもあったジョージ・アーサー・クランプの遺志を継ぎ、ハリー・コルト、チャールズ・H.アリソン等がその後10年近くの歳月をかけて18ホールを完成させた。7181ヤード、パー70。その印象は、「他とは比べられない」としか言いようがない。どのホールも実に個性的で、様式美を旨とするアメリカンスタイルのコースとは正反対。こんなふうに唯一無二の存在だから世界のベストコースの座に君臨し続けているのだろうと実感した。ドライビングレンジは驚くほど広く、二方向から向かい合って打っていても互いが見えないくらいの距離が確保されている。また、本コースとは別に、パー3が8ホールとパー4が2ホールのプラクティスコースが併設されており、こちらはトム・ファジオが設計。各ホールすべて異なる表情をしていてこれまた見事である。
初ラウンドから四半世紀が経った頃、なんとそのパインバレーから入会の打診があった。入会者はクラブの選考委員会で決定し、情報は非公開のため、ここで詳しく書くことはできないが、初の日本人会員としての推挙はとても名誉なことと受けることにした。以来6年間、今も機会あるごとに通っている。メンバーズ・ウィークエンドはまさに会員同士の社交の場。ラウンドからタイ着用のフォーマルなディナーまで、週末をゆったりと過ごすのが恒例だ。敷地内には規模の大きなロッジも整っている。一度行ってみたいという友人、知人と共に、近々また渡米する予定である。
ちょっと寄り道 大阪 茨木・吹田
Find Information
- Honiara Golf Club ホニアラ・ゴルフクラブ
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18H 6003M P36
1957年に開場したソロモン諸島唯一のゴルフ場。11、12番以外はフロント9と同じホールを使用、ティを変えてプレーする。会員制だがビジターの利用も可能。プレーフィは1R300ソロモンドル(約5400円)、キャディフィ100ソロモンドル(約1800円)。
Pacific Highway, Honiara, Guadalcanal, Solomon Islands
- Solomon Kitano Mendana Hotel ソロモン キタノ メンダナ ホテル
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ガダルカナル島ホニアラの老舗ホテル。日本企業が所有運営し、日本食レストランや屋外プール、大小会議場、ビジネスセンターなどを完備。フロントでゴルフクラブのレンタルも行っている。
Mendana Avenue, Honiara, Solomon Islands
- ソロモン諸島政府観光局日本事務所
- ソロモン諸島の詳しい情報はこちら。
- 茨木カンツリー倶楽部
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まもなく開場100年を迎える国内屈指の名門倶楽部。クラブハウスも重厚な雰囲気が漂う。プレーはメンバーの同伴(平日は紹介)が必要。
大阪府茨木市大字中穂積25
創立/1923年
東コース 18H 6765Y P72
設計/ダビッド・フード 改造/チャールズ・ヒュー・アリソン
西コース 18H 7407Y P72
設計/井上誠一 改造/リース・ジョーンズ
- いやしん坊
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焼肉、ステーキなど肉料理を堪能できる店。11:30~14:00、17:00~22:00(日祝は17:00~21:00のみ)。火曜休。阪急千里線、大阪モノレール山田駅から徒歩10分。
大阪府吹田市山田東4-41
- 茨木市観光協会
- 茨木市の詳しい情報はこちら。
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