2019.12.27

[vol. 027]

対局の翌朝に


旅するひと = 佐藤康光さとう・やすみつ

1969年京都府出身。将棋棋士(九段・永世棋聖)。中学1年の時にプロ棋士養成機関の奨励会に6級で入会。17歳で四段に昇段、プロ入り。93年竜王戦で当時5冠の羽生善治竜王を制し初タイトル獲得。98年名人位獲得。緻密な読みで『1秒間に1億と3手読む男』と称され、タイトル獲得は歴代7位の13期に上る。2017年から日本将棋連盟会長。同年、紫綬褒章受章。公式戦通算1000勝を達成した(史上9人目)。ゴルフ歴28年、ベストスコア80。

帰京前のクールダウン

北海道、洞爺湖にあるゴルフコース『ウィンザー・グレートピーク・オブ・トーヤ』。運がよければ幻想的な雲海を見下ろしてのラウンドを楽しめる。

将棋界には現役・引退あわせて約220名の棋士がいて、トッププロは1週間にほぼ1~2回のペースで対局の場が設けられています。竜王戦や名人戦などのタイトル戦は予選、本戦、挑戦者決定戦、番勝負と勝ち進むにつれて対局数が増え、会場も東京・大阪の将棋会館から全国各地へと移ります。ゴルフのトーナメントプロと同じように、強い人ほど旅から旅への日々を送るというわけです。
私は2006年に年度対局数86局を記録したことがありました(※歴代3位タイ)。王位戦、王座戦、竜王戦、王将戦、棋王戦のタイトル戦5連続挑戦を果たした年です。前日に現地入りして1日制か2日制の対局、その翌日に解散というパターンを繰り返し、対局と移動で1カ月分のスケジュールが埋まった時期もありました。

ゴルフ好きな囲碁の先生方の中には対局の前日に現地入りしてラウンドされる人もいらっしゃるようです。そのほうがぐっすり眠れるからという話を聞いたことがありますが、将棋の棋士はあまり聞いたことがありません。
私の場合も対局前は前々日くらいまでにすべての準備を整え、前の日は外出を避けて自己訓練と体調管理に充てています。自分のペースを守ることに集中し、リラックスした状態で過ごしたいのでゴルフを楽しむのはやはり終わってからのほうがいいようです。

会場は全国各地の旅館やホテルなど、いつも素晴らしい環境を設定していただいています。20年ほど前、北海道の北広島に行った時だったと思います。札幌北広島プリンスホテル(現・札幌北広島クラッセホテル)で名人戦があったのですが、ホテルに到着すると窓の外は一面、緑鮮やかなフェアウェイ。当時、女子ツアーの東洋水産レディス北海道が行われていた札幌北広島プリンスゴルフ場(現・札幌北広島ゴルフ倶楽部)の真ん中に建っているホテルでした。

名人戦は七番勝負。挑戦者は丸山忠久九段でした。4月初旬の第1局に始まり、5月初旬の第3局を終えて1勝2敗。北広島に場所を変え、第4局が行われたのは5月中旬でした。まさに、北海道でゴルフをするにはベストシーズンともいえる時季。ゴルフ好きにとっては集中力が削がれかねない環境下でしたが(笑)、良い内容で勝つことができ、翌朝は晴れて1番ティに立つことができました。

時にはツアー競技のプロアマ戦に出ることも。ゴルフ日本シリーズJTカップ(右写真。東京よみうりCC)やマイナビABCチャンピオンシップでトーナメントコースへの挑戦を楽しんでいる。

対局後のゴルフを体験したのはあの時が初めてでした。森に包まれたコースで爽やかな風を感じ、無心になってボールを追いかける。あの開放感は今も忘れられません。以来、対局後はゴルフでクールダウンしてから帰京するのが私の楽しみのひとつになったのです。

その3年後、再び6月の北海道で今度は棋聖戦がありました。世の中はサッカーの日韓ワールドカップで大いに盛り上がっていた真っ最中。場所は後にサミット(主要国首脳会議)の会場にもなったザ・ウィンザーホテル洞爺でした。洞爺湖と内浦湾を見下ろす山の上にあり、館内のいたるところから壮大な眺めを楽しめます。そして、ここもまたゴルフ場を併設したリゾートホテルでした。

北広島の時は当初予定になく、現地で関係者の方々に誘われてのラウンドでしたが、今度のゴルフは想定内。湖と山を見渡す大パノラマを満喫し、リフレッシュしてまた次の対局に臨むことができました。洞爺湖は雲海を見られるスポットとしても知られ、春から初夏にかけ、運がよければ雲海の上でゴルフができるそうです。

左=約625mの山頂に立つリゾートホテル、ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ。メインロビーから見下ろす洞爺湖には天候次第で雲海が広がることも。
右=ホテル併設コースのウィンザー・グレートピーク・オブ・トーヤ。洞爺湖から羊蹄山、内浦湾まで180度以上のパノラマで広がる景色は絶景の一言。

福岡の休日

福岡の老舗シーサイドコース、玄海ゴルフクラブ。正面に玄界灘、右手に湯川山の眺望に恵まれ、手応えも十分。1番ホールは名物の一本松が出迎える。

ゴルフにはコース設計を見る楽しさがあると思います。トーナメントが行われるようなゴルフ場には挑戦意欲をそそられるホールが必ずあり、設計家の意図を読み解きながらプレーする醍醐味を味わえます。
歴史あるコースでは建築物を鑑賞するのも楽しいものです。これまでにも茨城ゴルフ倶楽部の重厚なハウスや葛城ゴルフ倶楽部の系列の宿、北の丸など、数々の名建築に触れてきました。井上誠一氏のコース設計と相まってそれぞれに雰囲気があり、大好きな場所になっています。両コース共に、レストランでいただく食事が美味しいことも好きな理由のひとつです。

左=茨城ゴルフ倶楽部のクラブハウス。平屋建ての木造建築に天然素材を使ったシックな調度品がマッチする。
右=葛城ゴルフ倶楽部に隣接する北の丸は古民家を移築して造られた贅沢空間。

今年の夏は福岡での仕事のあとで玄海ゴルフクラブに行ってきました。1963年開場と県内有数の歴史を持つ宗像市内のシーサイドコースです。樹齢を重ねた松林がフェアウェイを完全にセパレートするフラットなコースで距離もたっぷり。久しぶりのゴルフを満喫しました。

途中、世界遺産の宗像大社にお参りができたのもいい思い出になりました。ここが大陸との交易の要衝だったことから海上・交通の神として信仰され、現代では国家と皇室の守護神として知られています。薄板を重ねて葺いた柿葺(こけらぶき)の屋根を持つ本殿は厳かな雰囲気で、心安らぐ場所でもありました。

夜は市内の魚屋(うおや)さんという老舗の割烹旅館で新鮮な海の幸をふんだんに使った料理を堪能しました。系列のレストランが玄海ゴルフクラブにも入っていて、名物の鯛茶漬けが評判のお店です。今回は特にイカが絶品でした。九州でイカといえば佐賀県の呼子が全国的に有名ですが、宗像のイカも同じ玄界灘の漁場から水揚げされているんです。宗像は知る人ぞ知る活イカの穴場。覚えておいて損はありません。

上=玄海ゴルフクラブ6番パー4(400Y)。背後に玄界灘と大島を遠望する。
中=魚屋名物の鯛茶漬け。玄界灘で育ったイカは甘みたっぷり。
下=2017年、世界遺産に登録された宗像大社辺津宮。玄海ゴルフクラブからは車で7分ほど。

柘植(つげ)の木とパーシモン

鳩森八幡神社の将棋堂で毎年1月に行われる新年行事、祈願祭(写真は2019年の様子)。

ゴルフはティイングエリアからフェアウェイ、グリーンまわり、グリーン上とピンに近づくほどターゲットが絞り込まれていきます。将棋も似たところがあって、まずはフェアウェイをキープできればいい。最初から突き詰めて考えるのではなく選択の余地を残しておき、局面ごとに判断を下しながら徐々に精度を高めていくんです。

実際に対戦してみると、ちょっとしたことが気になっただけでも状況は変わりますし、事前の研究と実戦は別のものだということもよくあります。でも、そんな未知の局面を迎えた時こそ実力の出しどころ。基本的に棋士は集中力を持っていて、緊張する場面に遭遇しても対処できることが多いように思います。
だからゴルフでも、とても入らなさそうなパットを沈めて皆さんに驚かれることがあり、これも集中力のなせる業なのかもしれません。
ただし、それまでどんなにナイスショットが続いても最後にミスをしたら敗け。そんなところも将棋とゴルフは似ています。

共通点といえばもうひとつ。私がゴルフを始めた90年代前半はメタルヘッドのドライバーが広く使われ始めた頃。それでも私はしばらくのあいだ、パーシモンヘッドを使っていました。将棋の駒は柘植(つげ)、盤は榧(かや)と木を使う商売です。だから、クラブヘッドも木のほうがしっくりくるんです。

現在は将棋連盟会長としての仕事が加わり、コースに出る機会は限られます。でもやはり気分転換には欠かせません。以前はコースガイドを見て、翌日ラウンドするコースを予習したり、このホールは何番で打とうかと作戦を立てたりしていましたが、最近はその場その場で感覚の将棋ならぬ感覚のゴルフを楽しんでいます。スコアメイクのために安全策を取ってばかりいるのではなく、可能性がある場面では狙っていく。多少実力が伴わなくても面白いものです。

年が明けると、将棋会館の向かいにある鳩森八幡神社で新春恒例の祈願祭が行われます。対局室のあるフロアからも境内の緑が見える場所にあり、棋士にとっては馴染み深い神社です。現存する都内最古の富士塚に登ることもでき、初詣におすすめです。

鳩森八幡神社のお守り『王手勝守』と『王手守』。境内には都の有形民俗文化財指定の築山富士があり、樹木は区の保存林に指定されている。

ちょっとお散歩 千駄ヶ谷周辺
  • 将棋会館
    日本将棋連盟の東の拠点。将棋好きが集う将棋道場やオリジナルグッズなどを扱う売店もある。各種教室も定期的に開催。JR千駄ヶ谷駅、大江戸線国立競技場駅から徒歩10分。
  • 鳩森八幡神社(はとのもりはちまんじんじゃ)
    千駄ヶ谷一帯の総鎮守として村民の崇敬を受けた神社。境内にある将棋堂は将棋の技術向上を目指す人々の守護神。アニメ『3月のライオン』にも描かれた。将棋会館から徒歩30秒。
  • ほそ島や
    40年以上にわたり棋士たちに愛され、将棋会館への出前も多い店。日本蕎麦店だが中華そば(680円・大盛り780円)が大人気。昔ながらの東京ラーメンに出合える。鳩森八幡神社から徒歩2分。
  • 国立競技場
    約6万人を収容する東京2020オリンピック・パラリンピックのメインスタジアム。設計は建築家の隈研吾氏。元旦にサッカー天皇杯決勝が行われる。ほそ島やから徒歩10分。
  • 聖徳記念絵画館(重要文化財)
    イチョウ並木で知られる神宮外苑のシンボル。重厚な建物の中は絵画などを展示。大理石造りの建築を見るだけでも楽しめる。施設維持協力金500円。国立競技場から徒歩6分。
  • 明治記念館 ラウンジkinkei
    赤坂仮皇居御会食所の装いをそのままラウンジに。窓の外に広がる庭園を見ながらサイフォンで丁寧に入れたコーヒーや軽食を味わえる。格天井や漆塗りのマントルピースなどインテリアも必見。聖徳記念絵画館から徒歩5分。
Find Information
ザ・ウィンザーホテル洞爺 リゾート&スパ
洞爺湖全景を見渡す高台のリゾートホテル。併設ゴルフ場のウィンザー・グレートピーク・オブ・トーヤ(18H 6216Y P71・設計/陳 清水)は1965年開場。来シーズンは4月下旬オープン予定。
玄海ゴルフクラブ
18H 7011Y P72
開場/1963年
設計/関西プロゴルフ協会
福岡市、北九州市から車で約1時間。フラットなシーサイドコースはパー4、パー5共に距離たっぷり。松林と102個のバンカーが難度を高めている。
宗像大社
2017年世界遺産に登録された宗像大社は宗像市内にある辺津宮と、沖合に浮かぶ島々に鎮座する沖津宮、中津宮の三宮の総称。辺津宮に隣接する展示解説施設『海の道むなかた館』もおすすめ。
魚屋別館
玄界灘に沈む夕陽や神湊の漁火を望む和室5室の割烹旅館。伊勢エビの刺身や高級魚アラのちり鍋など獲れたての海の幸を堪能できる。食事だけの利用も可能(水曜休)。
Pickup Item

旅先のホテルで、寝付けない前夜に携帯性に優れたパッティング練習器はいかがでしょうか?壁に当てないように静かにストロークしてくださいね。