2020.3.18

[vol. 030]

“炎のゴルフ”をオランダで


旅するひと = 小林研一郎こばやし・けんいちろう

1940年福島県出身。指揮者、作曲家。アムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ数多くのオーケストラのポジションを歴任。現在は日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団桂冠指揮者、名古屋フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、東京藝術大学・東京音楽大学・リスト音楽院名誉教授、東京文化会館音楽監督など。文化庁長官表彰、旭日中綬章、リスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、星付中十字勲章等受章。2019~20年は各地で傘寿記念プロジェクトの公演を行っている。愛称「コバケン」、「炎のマエストロ」。ゴルフ歴35年、ベストスコア78。

アムステルダムの大一番

25年間通い続けたアムステルダム。色とりどりのカナルハウスが建ち並ぶ運河は街の象徴。観光客向けのクルーズツアーも行われている。

初めてクラブを握ったのは45歳の年の1月1日。アムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者をしていた時だった。目的は、ある人に禁煙をしてもらうため。まごうことなき嫌煙家の僕は、親しくしていた日系企業のアムステルダム支店長であり愛煙家である某氏に言った。
「僕はあなたのタバコを辞めさせたいと思っています。聞くところによると、あなたはゴルフがお上手とか。もしも僕がゴルフをこれから始め、1年後に勝負して僕が勝ったら禁煙してくれますか?」
「もちろんいいですよ」と彼は二つ返事で僕の提案に乗った。
その頃の僕はゴルフのゴの字も知らず、派手な服に身を包んでボールを打っている程度のイメージしか持ち合わせていなかった。氏のハンディ11がどれほどすごいことなのか、知る由もなかった。

1年間の挑戦が始まった。僕はこれが無謀な挑戦であることにすぐに気づいた。コースに出るようになってもスコアは120を行ったり来たりで一向に縮まらない。
それでも、音楽の勉強をしている以外はすべての時間を費やしてゴルフ漬けになり、多い日は1日に800球から1000球打ち込んだ。今だから言えるが、夜中の2時半に起きてゴルフ場に忍び込み、真っ暗な中、パター練習を延々とし続けたこともあった。
ところが、そのせいで体を壊した。医師の診断は第6肋骨骨折。おかげでゴルフ対決は3カ月順延と相成った。支店長氏は余裕綽々である。僕の心の片隅に、(ひどい負け方をしなければいいんだ。そうすれば彼も考え直してくれるだろう)という気持ちが芽生え始めていた。

果たして迎えた対決の日。驚くなかれ、なんと13番ホールまで僕がリードしているではないか(!)理由は、支店長氏が今日を限りにタバコを辞めさせられてしまうかもしれないという、とてつもないプレッシャーと戦っていたからだった。それは如実にゴルフに表れて、最後のショートパットで彼のパターを持つ手が震え出す。OKなしの完全ホールアウトと決めたことをさぞかし後悔したに違いない。ちょっと気の毒になって僕はこう告げた。
「支店長、僕は今、ゴルフという素晴らしいスポーツにどっぷりと浸かり切っています。ゴルフに巡り合えたおかげで精神や肉体を鍛えることができています。これは支店長がいなければ成し得なかったことです。だから今日、僕が勝つことがあったとしても、1年3カ月前に交わした禁煙の約束はもうナシにしましょう」
するとどうだろう。支店長氏は途端に息を吹き返し、長いパットを次々に決め始めた。残り5ホールであっという間に逆転されて、対決は結局、僕の負けに終わった。

ヨーロッパはホームグラウンド。
左上=ブダペストのリスト音楽院。
右上=ロンドンのアビー・ロード・スタジオ。
左下=ハンガリー放送交響楽団のメンバーと。
右下=クロアチアにて。

初の100切りで78

オランダのノールドワイク・ゴルフクラブ(1915年設立)。ヨーロピアンツアー競技『KLMオープン』の舞台にもなっている。

支店長氏には負けてしまったが、1000球打ちや深夜のパッティング練習は無駄ではなかった。寄せやパットをみんなから褒められるようになっていたし、勝負から2カ月経った頃、オランダのケネマーゴルフ&カントリークラブというトーナメントコースで僕は100切りに成功し、90台と80台を飛び越えて、一気に78のスコアを出すことができた。
出だしのアウト1番で長いアプローチショットが直接カップインしてボギー。今日は調子がいいなと思ったら、続く2番でなんとホールインワン!その瞬間はティから見えなかったが手応えはあった。ピン奥に付けたか、いやもしかしたら…、と胸の高鳴りを抑えてグリーンに上がると、カップの中にボールが見えた。あの勝負から2カ月遅れで、僕はご褒美をもらったような気がしていた。
その後も同じスコアは何度か経験したが、自己ベストはあの日からずっと78のままでいる。

オランダ西部、北海に面したノールドワイク。かつての漁業の町は今や人気のビーチリゾートに。ノールドワイク・ゴルフクラブをはじめとする3つのリンクスが海岸線に沿って広がっている。

本拠地にしていたオランダとハンガリーはもちろんのこと、イギリスやフランス、さらにアジア、アメリカまで。ゴルフの為に世界中どんなところへも飛んで行った。ピークの頃は1日2ラウンドを含めると、年間120ラウンドくらいしていたこともある。ハーフベストの36を出したのは韓国のゴルフ場だった。

オランダで最もよく通ったのがノールドワイク・ゴルフクラブというゴルフ場だ。ティからグリーンを見通せないホールなどトリッキーなところがあって、かつてプレーしたジャンボ尾崎さんが「もう二度と来ない」と言ったとか。そんな話も残るコースだが、僕は実によく行った。
あの辺りのゴルフコースといえばヒースが付き物で、たとえヒースの中にボールを見つけることができても打ってはいけないというのが地元ゴルファーの常識になっている。もっと深みにはまって、痛い目に遭うからだ。
夏は日が長いので、この時間までに最終ホールのティに来ていればなんとかホールアウトできる目安が夜10時30分。ただし、フェアウェイを外さなければという条件付きである。

ブダペストではこんなことがあった。練習場を探したが見つからない。するとある時、偶然に近所の雑木林でぼっかり開けた空き地を見つけた。奥行およそ150メートルとうってつけの広さである。早速、ちょっとお邪魔してクラブとボールを持ち込んだ。反対側に妻に立ってもらい、ボールを拾ってと頼み込んで。
いい練習ができたけれど、妻のブランド物の靴がボロボロになってしまったのはマズかった。だいぶ時間が経ってしまったが、近いうちに素敵な靴をプレゼントしたいと思っている。

スコアカードを持たない理由

葛城ゴルフ倶楽部。美しい曲線を描く池やバンカーが戦略性を高めている。

近頃は忙しいこともあってコースに出る機会がめっきり減ってしまったが、日本では静岡の葛城ゴルフ倶楽部が気に入っている。ノールドワイクで唯一の日本人メンバーが葛城のメンバーでもあったのが縁でたびたび行くようになった。
あそこは施設も人もコーディネートされていて雰囲気がよく、ひとたびスタートすれば、メンテナンスの行き届いたコースで井上誠一の設計を堪能できる。設計者の意図を読み取りながらのゴルフは楽しく、仕掛けられた罠にはまってしまうのもまた一興である。

ちなみに僕はラウンド中、スコアを付けることがない。4人分のスコアはもちろんのこと、どこからどう打ったかを全部記憶しているので、ホールアウト後にまとめて書き込むのがいつものスタイルになっている。「○○さん、3年前もこのホールでバーディでしたね。同じようにグリーン奥から寄せて」などと言うと、みなさんびっくりして喜んでくれる。これは僕の特技と言っていいかもしれない。

葛城ゴルフ倶楽部。クラブハウスのレストランは昼食ブッフェを取り入れた先駆け的存在で、今やノンプレーヤーも食事に来るほどの名物になっている。

その後、トーナメントのプロアマ大会に呼んでいただく機会が増えたこともあり、プロゴルファーの方々と知り合う機会も増えた。皆さん、コバケンと呼んで親しくしてくれている。
樋口久子さん、小林浩美さん、宮里藍さん、宮里美香さん…。ある時、石川遼さんがクラブハウスで僕を見つけ、わざわざ挨拶に来てくれたこともあった。「先生、僕、石川遼と申します。先生の音楽もよく聴いています」と、実に礼儀正しい青年だったことを覚えている。

そして、なかでもとっておきの友人がいる。青木功さんである。奥さん同士があるパーティで出会い、知り合ったのだが、もう何度ご一緒したことか。
しかも僕は青木さんからマンツーマンでラウンドレッスンを受けたことがある。場所はあのワイアラエカントリー。青木さんが日本人選手として初めてPGAツアーで優勝したハワイアンオープンの舞台である。青木さんはカートを運転し、僕のボールを拭いてくれた!無上の喜びとはこのことを言うのだろう。以来、青木夫人のチャリティ活動に僕たち夫婦も参加させていただくなど、今も家族ぐるみのお付き合いが続いている。

上段=ハワイ・オアフ島のワイアラエカントリークラブで青木功プロと。
下段=2005年から続けている社会貢献活動『コバケンとその仲間たちオーケストラ』。ボランティアメンバーと共に全国で公演を行っている。

ちょっと寄り道 静岡遠州
  • 遠州三山
    古刹が多く残る袋井市。なかでも法多山(はったさん)可睡齋(かすいさい)油山寺(ゆさんじ)は『遠州三山』と呼ばれ、ご利益巡りが人気。例年6月(2020年は5月23日)から8月下旬は『遠州三山風鈴まつり』(上の写真)を開催。新たな風物詩になっている。
  • 名倉メロン農場
    袋井名産のメロンを栽培する農家が週末限定でフルーツカフェをオープン。完熟マスクメロンなどをリーズナブルに味わえる。併設するショップ(不定休)は土産の調達におすすめ。どちらも品切れの場合があるので事前に確認を。
  • 可睡ゆりの園
    可睡斎に隣接する広大な百合園。例年5月下旬から7月上旬にかけて約150品種、200万輪の百合が次々に開花。およそ3万坪の園内には茶室や食事処もある。
  • 掛川城
    室町時代、駿河の守護大名・今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に築城させた。現在の城は1994年、日本初の本格木造天守閣として復元されたもの。春は周辺で花見も楽しめる。
  • ヤマハピアノ工場見学
    ヤマハ掛川工場ではスタッフの解説を聞きながらグランドピアノの製造工程を見学することができる。所要時間90分、入場無料。事前の予約が必要 (平日午前の部:10:00~11:30、午後の部:13:30~15:00)。
  • 資生堂アートハウス
    企画展と常設展を通じて資生堂が所有する絵画、彫刻、工芸品などを一般公開。高宮真介と谷口吉生が設計し、モダニズム建築の傑作として数々の建築賞を受賞した建物も必見。入館無料。
Find Information
オランダ政府観光局
オランダの情報はこちらから。
葛城ゴルフ倶楽部
36H 13872Y P144
開場/1976年 設計/井上誠一
戦略的なレイアウトの山名コースとなだらかな丘陵地を活かした宇刈コースの36ホール。山名コースではLPGAトーナメント『ヤマハレディースオープン葛城』を毎年春に開催している(今年は4月2~5日)。メンバーコースだが、併設する葛城北の丸の宿泊者は会員の同伴がなくてもプレーが可能。
袋井市観光協会
袋井の観光情報はこちら。
掛川観光協会
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指揮者 小林研一郎公式ホームページ
小林研一郎氏のニュースやスケジュールなどはこちらから。
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普段とは違うファッションで楽しむ旅先のゴルフ。ヘッドカバーが変わるだけでも、気分が変わりますね。