
父親もプロゴルファーで才能豊かだったジャック・バークはハイスクールに通っていた17歳でプロに転向したが、すぐに第2次世界大戦に突入、海軍に入隊し、4年間を軍隊で過ごした。
終戦後の1950年、ようやくツアーに出場できたバークはすぐに頭角をあらわし、’51年に4勝をあげ、’52年はマスターズでサム・スニードに続く準優勝。アメリカ人にしては小柄で童顔だったことから、アイドル的ゴルファーだった。
バークはショットも正確だったが、パットが大の得意で、ガラスのグリーンと言われるオーガスタでもナイスパットを続け、’56年に初優勝、この年は7月の全米プロでもロングパットを次々に決めてバーディを奪取、年間メジャー2勝を挙げたのだ。

パットが上手いのは、まず感性が鋭かったからだ。
バークは言っている。
「グリーンに上がり、ボールに近づくときにラインを見る。このときにどう打とうか、直感的にイメージを描くのだ」
ファーストインプレッションを大事にしてパットをしたのだ。
次にパットの練習をたっぷりと積んだこと。バークはパットこそ、スコアを縮められる唯一のショットであることを認識していた。ドライバーもアイアンも打ちたくなくとも打たざるを得ず、打数を減らすことはほとんどできない。パットだけが、回数を大きく減らすことができるのだ。
バークは言っている。
「14本あるクラブのうち、ボールをカップに入れられるのは唯一、パターだけ。そのパターを練習しないのは愚かという他はない。パターを練習して上達すれば、優勝は向こうからやってくる」
全米プロに優勝したとき、燃える鉄の刀のようなパターを抱き、「最も頼りにしているクラブだ」と誇らしげに語ったという。