
アーネスト・ジョーンズは片足のレッスンプロとして大成功を収めた人物である。1887年にイングランドのマンチェスターで生まれ、25歳のときにヘッドプロとなる。
当時からティーチングに定評があり、それはサー・ウォルター・シンプソンズが著した名著『ジ・アート・オブ・ゴルフ』のスイング理論に感銘を受け、スイングの細部にこだわらず、クラブを振り抜くことを重要視したことによるものだった。ティーチングだけでなく、試合でも活躍し、27歳のときにケントオープンに優勝、全英オープンでも注目選手だった。
いよいよこれからというときに第1次世界大戦が勃発、軍隊に入った彼はフランスで右足を負傷、膝から下を失った。このときに彼が放った言葉が「弱音を吐かずに前進せよ」。

義足を付け、試合に出場、83であがり、ホームコースでは70でプレー。多くのゴルファーから尊敬されるが、彼は片足だから会得できたスイングを元に、ティーチングプロとして生きていく決心をする。
1923年アメリカに招かれた彼は、ニューヨークのマンハッタン五番街にあるビルのインドア練習場で教え始める。1回のレッスンフィは5ドル、朝9時半から夜まで働き続け、1年間に教えた延べ生徒数は3000人という人気ぶり。そこから有名プロも誕生した。
インドア練習場ではどうしてもスイングレッスンが主体となるが、それではスコアは縮まらない。そこで常々生徒に言っていたのがパットのことだった。「上達がお望みならば、1mのパットばかり練習しなさい」。その1mは自宅でもできる。毎日、練習することなのだ。