
身長163cmという小柄ながら、全身をバネのように使って飛ばしたジーン・サラゼン。しかも、「攻撃は最大の防御なり」と、プレッシャーがかかるときほど、攻撃的にプレーして自らを奮い立たせた。
イタリア系の貧しい移民としてニューヨークで育ち、10歳のときにキャディとなる。1921年、19歳でプロに転向し、21歳のときに全米オープンと全米プロに優勝、一気に名声を高める。しかも翌年の全米プロではゲーム巧者のウォルター・ヘーゲンを決勝で破って2連覇を成し遂げる。
しばらくメジャーの優勝から遠ざかるが、1932年に全米オープンに2度目の優勝を果たし、全英オープンにも勝ってしまう。翌’33年には全米プロ3度目のタイトルを獲得、さらに’35年にはボビー・ジョーンズが創設したマスターズ第2回大会の覇者となる。

こうして、4大メジャーをすべて征服、グラウンドスラマーとなるわけだが、マスターズでの優勝はまさに攻撃の人、ジーン・サラゼンの面目躍如たるところ。最終日の15番パー5で直接2打目を放り込むアルバトロスを成し遂げてしまい、優勝をたぐり寄せるのだから、ファンも狂喜乱舞となる。
そのサラゼンの攻撃精神は71歳で大会史上最年長で全英オープンに出場したときにも発揮された。その難しさからAilisa(辛苦)、グリーンの小ささからPostage Stamp(郵便切手)と呼ばれる8番パー3で初日ホールインワンを成し遂げ、2日目もティショットをバンカーに入れたものの、そこから直接カップインしてバーディ。プロに成り立てのタイガー・ウッズが7打を叩いたこのホールで快記録を打ち立ててしまうのだ。
それもこれも「失敗するまで失敗していない」の攻撃精神にある。打つ前から決してビビルことのなかった勇者の言葉だ。