
貧しいイタリア系移民の家に育ったサラゼン少年は、新聞配達などのアルバイトを経てキャディの仕事を始め、プロゴルファーを夢見ていた。仲間たちと空き地に土のグリーンを作り、トマト缶をカップにして、ゴルフの真似事を繰り返した。
「コースでプレーしたい!」
当時のキャディには許されない欲求が積もり積もった末に、実際にコースでプレーできたサラゼン青年の喜びは並外れたものがあった。そして、その喜びがサラゼンを史上最年少の全米オープンチャンピオンにさせてしまうのだ。
20歳の若造が時の大選手、ウォルター・ヘーゲンなどと名勝負を繰り広げる。サラゼン青年は一躍ハリウッドスター並みの好遇を受けることになってしまうというわけだ。
しかし、自惚れたサラゼン青年は、その後、優勝はあってもメジャーには勝てない。放蕩生活が素晴らしかったスイングを崩れさせ、ショットが悪くなるだけでなく、特にバンカーショットが下手だった。

再び栄光をと一念発起したサラゼンは、ヘッドに鉛を入れた重いドライバーで毎日素振りをし、バンカー脱出用のクラブを発明してしまうのだ。1931年のこと。
「9番アイアンのソールに鉛を厚く貼って、そこをボール手前の砂にぶつける。すると、面白いようにボールが砂と一緒に出るんだ」
発想は飛行機の翼のフラップが下になると機体が上昇することを見て浮かんだという。ソールの下側を厚くして砂にぶつかれば、フェースが上を向いてボールが上昇するというわけだ。
「打ち方はアウトに引いて、インに下ろすアウトサイドイン。インサイドアウトではミスするよ」
こうしてサラゼンは、翌’32年に全米と全英オープンに勝ってしまうのである。