2018.11.27

[vol. 007]

Home of Golf
スコットランド / St Andrews


旅するひと = 大塚和徳おおつか・かずのり

ゴルフ歴史家。1934年生まれ。第一銀行を経て帝人入社。MBA取得後、英ターンベリーホテルの経営、ジ・オックスフォードシャーGCの建設に携わり、50歳頃からゴルフ史の研究を始める。世界中でラウンドしたゴルフ場約480コース。英ロイヤル・ノースデボンGC、ロイヤル・セント・デイビッズGCのメンバー。米ゴルフマガジン誌『世界ベスト100コース』の選定パネリストを1998年から20年間務めた。著書に『世界ゴルフ見聞録』『コースが語る世界のゴルフ史』『日本のゴルフ聖地100』他

人生最後にプレーしたいコース

“If I had one last round to play on earth it would surely be on the links at Deal.”――Sir.Peter Allen

神様から「生きているあいだにあと1ラウンドだけプレーさせてやろう。さてどこがいい?」と訊かれたら何と答えるか。私は躊躇なくディールのリンクスを挙げるだろう。

オックスフォードのキャプテンを歴任し、イギリス最大の化学会社ICIの会長を務めたSir.ピーター・アレンは自書『Famous Fairways』にこう書きました。ディールのリンクスとは、英国ケント州のサンドイッチに近い町にあるRoyal Cinque Ports Golf Clubのことです。

以来、これを読んだゴルファーのあいだで最後の晩餐ならぬ“最後のプレー”について語るのがちょっとしたブームになりました。数年前、イングランドのRye Golf Clubの理事長で、R&Aのキャプテンを親子2代にわたって務めたピーター・ガーディナー・ヒル氏とラウンドした時もこの話になり、彼は「私は米国のサイプレスポイントにしたい。Mr.Otsuka、君はどうだい?」と言うので、私は束の間、考えて「僕はオールドコースだね」と答えました。

コースの成り立ちや設計、道具とコースとの関わり、ゴルファーや競技の歴史等々、すべてにおいてセントアンドリュースのオールドコースがやはりゴルフの原点だと思ったからです。

セントアンドリュース海岸とクラブハウスを望むオールドコース16~18番。夜明けから夕暮れまで、コースや通りはゴルファー達で賑わいます。

Home of Golfたる所以

少しだけコースの歴史を紐解いてみましょう。クラブ設立の10年後にあたる1764年、セントアンドリュースのコースはそれまでの12ホールから18ホールに改造されました。18という数字に特別な意味はなく、帯状の自然のリンクスの長さから割り出した偶然の産物に過ぎません。しかし、R&Aのお膝元ということもあり、その後造られるゴルフ場のホール数はこれに倣って18に定着していきました。現在、当然のように造られている1コース18ホールはこの時のオールドコースを起源としています。

1850年代に行われた二度目の改造も、その後のゴルフに多大な影響を与えました。ゴルフコースに戦略性を初めて取り入れたのです。改造を担当したのはセントアンドリュースのプロゴルファー、アラン・ロバートソン。オールド・トム・モリスの師匠にあたる人で、後に『ゴルフコース設計の歴史はアラン・ロバートソンから始まった』と言われるようになりました。今はホテル超えの第1打とグリーン手前の深いロードバンカーで有名な17番のデザインもこの時、完成したものです。

ロバートソンはゴルフの腕前においても抜きん出た存在でした。1859年に彼が亡くなると、誰が次の№1ゴルファーの座に座るのか、試合で決めようじゃないかということになりました。こうして翌1860年に始まったのがThe Open Championship。今年、147回目を迎えた全英オープンです。

このように私達が楽しんでいる現代ゴルフの源を辿っていくと必ずと言っていいほどオールドコースに行き着きます。ホール数の話にしても、歴史的に見ればもっと古いコースはいくつもあって、5ホールや7ホールなど実に様々でした。もしもそれが基準になっていたらその後のゴルフはどうなっていたでしょう。神が造ったコースに人が手を加えて生まれた偶然の産物とはいえ、今こうしてゲームの多様性やコース設計の妙を味わうことができるのも、18という絶妙なホール数があったからこそと私は思います。

旅の土産のほとんどはゴルフに関する書物。訪ねた各クラブで進呈を受けるガイドブックも加わって相当な荷物量になりますが、書店巡りをしていると、こんな掘り出し物にも出合えます。

ニクラス最後の姿を観に行く

オールドコースではこれまで数回プレーをしてきましたが、2005年は少し特別な訪問となりました。ゴルフ雑誌の取材で英国各地を巡り、途中、ジャック・ニクラスが出場する最後の全英オープンを観に行くことになったのです。1990年以降、全英オープンは基本的に5年に1回のペースでセントアンドリュースにやってきます。

私達はウェールズからイングランド北部へと北上して取材を重ね、開催週の月曜夜にセントアンドリュースに入りました。プレス関係者の宿はセントアンドリュース大学のサルベイターズホールがあてがわれることになっています。そこはその年の5月までウイリアム王子が暮らしていた寮で、部屋は立派なセミスイート。食事も美味しく快適でした。

早速、火曜の朝からニクラスの練習ラウンドに付き、17番のロードバンカーから練習をする姿を観たりしていると、前出のピーター・ガーディナー-ヒル夫妻とばったり会うといううれしいハプニングもありました。

金曜午後、ニクラスをひと目見ようと世界中から駆け付けたギャラリーの盛り上がりは大変なものでした。この年はいつもの寒く湿った気候が一変して晴天続きで気温も高く、砂塵がひどかったのには閉口しましたが、大会はタイガー・ウッズが期待通りに完全優勝を飾り、ダブルグランドスラムを達成して5年に1回のセントアンドリュースの儀式は幕を閉じました。

上の写真はR&Aのクラブハウスに向かって打っていく18番。ニクラス同様、スウィルカン・ブリッジでの記念撮影は欠かせません。フラッグは1990年、ニック・ファルドが優勝した年のもの、公式ガイドブックは2010年のもの。

B&Bを拠点にリンクス巡りを

セントアンドリュースへはエディンバラ空港から車でおよそ1時間半。車を運転しない私は専らナビゲーターに徹し、レンタカーの運転をいつも妻に任せています。世界中どこへ行くにも妻の運転なしには旅が成り立たないと言っても過言ではなく、これまで数え切れないほどのゴルフ場に一緒に出かけてきました。彼女はゴルフをしないので、「せっかく行くのにもったいない」と周囲からよく言われるようですが、独りでコースを見たり、倶楽部の人達と会ったり、調べ物をしたり……と大いに旅を満喫しています。

セントアンドリュースは学問と宗教とゴルフの街です。街自体が歴史的で、城や大聖堂などの美しい遺跡や世界有数の大学が小さな町に点在しています。ゴルフの合間、時間ができたら歴史散歩に充てるのもいいでしょう。

また、スコットランドはウイスキーの故郷。少し足を延ばせば近郊に120もの蒸留所があり、エディンバラの中心部にはウイスキーをテーマにした観光施設のスコッチウイスキー・エクスペリエンスもあります。

食事は、Aberdeen Angus beefを一度は食べておきたいところです。少し北に行ったアバディーンシャイア、アンガスの両州が原産の牛肉で、ステーキにすると柔らかくジューシー。きっと英国料理を見直すことでしょう。

宿は、私達はいつもB&Bを使っています。ゴルフコースの近くに必ずしもホテルがあるわけではないので、というのが最大の理由ですが、その土地の空気を直に感じ、アットホームな雰囲気でくつろげるのも大きな魅力です。ゴルフクラブに事前に連絡して紹介してもらえばまずまちがいありません。リンクス巡りに行かれるのならB&Bがおすすめです。

テラス席からエディンバラ城を望むレストラン。スコットランド国立博物館の屋上にあります。書店の写真はスコットランド最大の古本屋、リーキー・ブックショップ。18世紀に建てられた教会を改装した店内は必見です。

Find Information
St Andrews Links
2008年にキャッスルコースがオープンして全部で7コース。オールドコースは特に人気が高く、エントリー方法はメールや電話、当日並んで順番待ち等様々。旅行代理店のパッケージツアーを利用する方法もある。グリーンフィ88ポンド(約12,750円)~180ポンド(約26,079円)※いずれも18年度の料金
B&Bs and guesthouses in Scotland
スコットランド観光局のサイト内にあるB&Bのガイドページ。
Pickup Item

旅先で味わった料理を北後に再現してみるのはいかがでしょうか。思い出話に花が咲きそうです。スコットランドの天気は、日中変わりやすいそうです。現地産のウール製品をどうぞ。