2022.5.18

[vol. 10]

心に残るゴルフの一冊 第10回


『P・G・ウッドハウスの笑うゴルファー』

P.G.ウッドハウス著 集英社インターナショナル刊

ユーモア小説の大御所、P.G.ウッドハウスのゴルフ小説を発見した。タイトルは『笑うゴルファー』、洒落たイラストに彩られた表紙。ウッドハウスがゴルフに精通していて小説まで書いていたとはつゆ知らず、興味津々で読み始めた。すぐに、巨匠の手にかかれば神聖なるゴルフシーンもウィットとアイロニーに富む物語になるのだなと、思わず吹き出し感心してしまった。
P.G.ウッドハウス(ペラム・グレンヴィル・ウッドハウス)は19世紀末の1881年にロンドン近郊サリーのギルフォードに生まれた。銀行員を経て小説家となり、風刺と皮肉と嫌味に満ちた英国琉のユーモア小説を次々に発表して一躍人気作家となる。代表作は天才執事ジーヴズが様々な騒動をクールに解決していく「ジーヴズシリーズ」。1975年93歳で没するまでに長編90作以上+短編300作を超える作品を遺した。凄い量である。

同じ英国のコナン・ドイルのシャーロック・ホームズものは本格推理小説で謎解きが楽しいが、一方、ウッドハウスのジーヴズものは事件とは呼べないようなくだらない身内の騒動解決物語なのだが、貴族階級の金持ちへの風刺が平民読者には堪らない。英国に「シャーロック・ホームズ協会」があるように「ウッドハウス協会」も存在し、世界中の熱烈な読者がメンバーとなっている。
ウッドハウスの魅力を知るには、このゴルフものの『笑うゴルファー』を最初に読んでも構わないが、できればジーヴズものから読んでいただきたい。手始めとしては『ジーヴズの事件簿 才知縦横の巻』(文春文庫)がよいだろう。最初にも言ったが、「事件簿」と題されていても本格推理ものではまったくないので、そこは期待しないこと。あくまでもこれが英国流ユーモアかとほくそ笑んで欲しいのだ。

『ジーヴズの事件簿 才知縦横の巻』はジーヴズが初登場する「ジーヴズの初仕事」の短編から始まる。その初仕事は、ちょっと軽薄な主人バーティことバートランド・ウースターと我が儘な婚約者フローレンス・クレイが巻き起こす事件。事件と言ってもフローレンスの叔父が書いた家名を貶めるかも知れない半生記の草稿を盗んで無きものにせよというもの。気に弱いバーティにとっては大事件だが、取るに足らない婚約者の家族騒動である。バーティが慌てふためく中、ジーヴズが内密に処理して一件落着。何とも軽い三文小説なのだが、20世紀初頭のロンドンの社会事情がわかって面白い。
2話目の短編は「ジーヴズの春」。そうはいっても「春」なのはバーティの親友である恋する青年、ビンゴ・リトル。富裕層のビンゴがウェイトレスを好きになった。何とか格差結婚を叔父さんのモーティマーに認めてもらいたい。本人にとっては一生の難題をジーヴズが名案で解決してしまう。とはいえ、ただ解決するだけでなく、読者をも驚かせる結末が待っていたりするところがウッドハウスならではだ。
3話目はバーティにとって恐ろしい存在、アガサ叔母が登場する。有無を言わさない女王のようなアガサがバーティの花嫁候補を見つけてくる。何とか逃れたいバーティは従僕のジーヴズに相談。果たしてどんな解決法が待っているのか。ウッドハウスは子供の頃に何人かの叔父・叔母に育てられたが、そのときの規制された窮屈な生活と怖い叔母がアガサ叔母のモデルになった。
こうしたたわいない事件が他に4話収まっているのだが、どの短編にもウッドハウスの教養ぶりを示す聖書や神話、哲学、歴史的名著などからの引用や隠喩、ギャグや語呂合わせなどが含まれている。それらの知識に乏しい私には理解が浅くなりがちで、さらに翻訳で読んでしまうと面白みも割り引かれてしまうが、それでも全体の物語の軽さに救われてどんどんと読み進めてしまうのである。

さて、こうしたウッドハウスの物語作りがわかったうえで、ゴルフものである『笑うゴルファー』を読むと彼の人柄がわかってきて興味深い。というのもシニカルに社会や人間を観察しながらも、その根底には愛情があるのだ。怜悧にずばっと切り裂くようでいて、最後はやさしくあたたかく抱きしめる。そうしたところに読者はウッドハウスを好きになってしまうのだろう。
『笑うゴルファー』には6つの短編が収められている。いずれも某クラブの長老がそのクラブで起こった“事件”を若いメンバーに語るという設定なのだが、その“事件”とはどれも恋愛事件である。いずれも馬鹿馬鹿しいくらいの男女の愛の揉め事なのだが、それが誰にでも起こりうる性格の豹変によって右往左往する。
そのドタバタが喜劇になるのだが、言ってみればモーツアルト流の喜劇のゴルフ版。ゴルフ場が舞台となり、主人公も脇役もゴルファーであるという物語で、妙ちくりんな歌まで披露されたりする。読む者は、あほくさいと思いながらも、クスッと笑えたり、苦笑したり、大笑いもあるというゴルフ喜劇なのである。
最初の短編は『ゴルフは非情』で、ウッドハウス39歳のときの作品。臆病で世捨て人だったウサギ顔の冴えない男、ラムズデン・ウォーターズが、街のすべての男たちが熱を上げていた絶世の美女、ユーニス・ブレイのハートを射止めた話。どのように彼女のハートを掴んだかは読んでいただくとして、その根底には真のゴルファーとはいかなるものかが語られており、ウッドハウスがそれを尊んでいることがわかる。

2つめは『恐怖のティーグラウンド』、ウッドハウス48歳の作品で、怪力の大女、アグネス・フラックを巡る恋物語。彼女を怖れる二人の男と彼女を愛する一人の男。なぜか怖れる二人の男がマッチプレーをし、勝ったほうが彼女と結婚することになるのだが、どちらも勝ちたくない。勝ちたくないのに、ゴルフをやり出すと本気になるという笑い話。ゴルファーなら誰でも「あるある」と頷くだろう。

3つめはウッドハウス56歳のときの『ルールは厳正』。好きな女性の父親がプレーの遅い下手くそなゴルファーで、球を打ち込んだことから結婚が許されない。許しの鍵はその父親が出場する試合で優勝させることとなるのだが、父親の相手も下手なゴルファー。タイプの異なる下手同士が真剣勝負をするとどうなるか?下手を自認する読者なら、これまた「あるある」と思う喜劇だ。

4つめも56歳のときの作品で『道化師よさらば』。婚約していた男女のところに元彼らしき人物が現れて大騒ぎ。婚約は破棄され、男にも彼女ができるが、ゴルフの試合をきっかけに元の鞘に収まる。ゴルフは愛を救う。ウッドハウスの言いたいところは正にそこである。

5つめは『ゴルフさえあれば』(56歳の作品)。絶世の美女、クラリス・フィッチに小男のアーネスト・プリンリモンが惚れた。決死のプロポーズを断られ、失恋の傷手を夏期メダル競技に優勝することで立ち直ろうとするが、果たして。ゴルフ魂を持つ男は恋も成就させることができるのか。

最後は『意外な弱点』、ウッドハウス69歳のときの作品だ。この短編、なんと2つめの『恐怖のティグラウンド』のアグネス・フラックとシドニー・マクマードが再登場する。二人は婚約中だったが、ここに魅力的な男が現れてアグネスは恋をして婚約を破棄、傷心のマクマードにも妖艶な女が現れて恋に落ちる。そのまま二人は別れ別れになるのか?とそんなときに女子シングルス競技が行われる。雨中の決戦で何かが変わっていく。それがゴルフだとでも言うように。

読み終わった後の清涼感が堪らない。プレー中は山あり谷あり、ナイスショットもあればミスショットもある。喜び、怒り、哀しみ、楽しみという人生のすべてが詰まっている。でも、最終ホールを終えたら泣き笑いになるのがゴルフ。そのことを長老である実はウッドハウスは十分にわきまえて物語を話してくれるのだ。
P.G.ウッドハウスがゴルフに熱中したのは30代後半かららしく、ハンデは14とのこと。堂々とした体躯で、パブリックスクールではラグビー、クリケット、ボクシングで活躍しただけに、ゴルフでも飛ばし屋だったらしい。しかしハンデ14の飛ばし屋ならば悲劇も多かっただろう。となれば、それが逆転して喜劇にもなるのがゴルフ。長老となった作家ならば、ゴルフを人生に例えた洒落た小説が書けるというものだ。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は2009年に刊行されました。新刊はないため、amazonなどで中古本が購入できます。