2024.2.28

[vol. 31]

心に残るゴルフの一冊 第31回


『現代ゴルフの心と技術』
金田武明著 廣済堂文庫
トッププロの系譜と
国際的ゴルフの考察

 今回紹介する本は金田武明さんが書かれた『現代ゴルフの心と技術』である。
なぜにこの本を選んだのかというと、この本がゴルフの奥深さを知ることのできる大変に優れたものだからであるが、それは金田武明さんという多彩な才能と豊富な経験を持ち合わせた希有なゴルファーだからこそ執筆できたものだからであり、それだけにこのコラムの読者の皆さんにはこの本を読まれるだけでなく、金田武明さんという人をぜひとも知って欲しいと私が思っているからである。

まずは金田武明さんの経歴を知って欲しい

 金田さんは1931年に東京で生まれ、早くも5歳にして父親からゴルフを教わっている。早稲田大学政経学部の学生時代は体育会ゴルフ部に所属し、戦後の学生ゴルフの復活に大いなる力を注いだ。関東学生ゴルフ連盟の復興や学生競技の再開に奔走、朝日新聞社主催の信夫杯東西対抗を実現している。卒業後はオハイオ州立大学で経済学と社会学を専攻、メリーランド大学では経済発展学を学び、同大学・大学院で助手を務めた。もちろん、アメリカ留学の際に勉学だけでなく、本場アメリカのゴルフコースでプレーを堪能したことは言うまでもない。
 日本に戻った金田さんはゴルフの腕前と堪能な英語力をもって、1960年の世界アマチュア選手権に日本代表チームの選手兼主将として参加、そのときには若き中部銀次郎もチームメイトであった。そこでは日本チームは惨敗、優勝したアメリカチームとの力の差は甚だ大きかった。アメリカチームには全米アマを獲得したジャック・ニクラウスが参加、そのパワーと飛距離に恐れ入るのである。この年の金田さんは極東オープンにプロと一緒に参加、アマチュアながら日本チームの主将を務めるのである。2年後の1962年の世界アマは日本の川奈ホテルゴルフコースで開催されたが、これは金田さんの誘致努力の成果であった。ちなみに金田さんのゴルフの実力は相模CCと霞ヶ関CCのクラブチャンピオンになっていることからも察せられる。
 そうした金田さんは国際試合の解説も行っている。その初めは1957年のカナダカップ(現ワールドカップ)である。日本の霞ヶ関CCで開催された5回目となるこの大会で日本は中村寅吉と小野光一がペアを組み、並み居る強国を抑えて優勝した。この優勝は太平洋戦争で敗れて疲弊していた日本国民を勇気づけるとともに日本にゴルフブームを巻き起こす景気となった。その後、金田さんは1966年の東京よみうりCCで開催されたワールドカップの解説も行っている。日本で2回目の開催であり、ジャック・ニクラウスとアーノルドー・パーマーというビッグスターペアのアメリカが8度目(14大会中)の優勝を成し遂げた。金田さんがそれらの大会でどんな解説をしたのか、大変に興味深いが残念ながら今それを聴くことはできない。
 金田さんはそれまでにアメリカの多くの大会を観戦取材していて、1967年にはアメリカの『スポーツイラストレイテッド』誌の日本代表となっており、その後アジア代表にもなっている。こうしたこともあって、当時のビッグ3のニクラウス、パーマーはもとより、南アフリカのゲーリー・プレーヤーとも懇意になっており、日本における画期的なゴルフテレビ番組「ビッグ3・イン・ジャパン」のプロデュース、そしてレフェリーを行っている。1973年にはNHK「史上最強のゴルファー、ジャック・ニクラウス」なるゴルフ番組のディレクターに就任、彼にインタビューをしながらゴルフ技術と理論を紹介した。その後も当時の人気レッスンプロであったボブ・トスキのNHK番組の制作と解説に関わっている。
 金田さんは選手としてアメリカで戦ったり、アメリカの主要トーナメントを取材する傍ら、その舞台となるゴルフコースにも興味を覚える。その最初はおそらく最初に挑戦した世界アマの会場となったメリオンGCだっただろう。ボビージョーンズが初めて全米オープンに挑戦し、全米アマに勝ってグランドスラムを達成したコース。ベン・ホーガンが交通事故で瀕死の重傷を負ったあとに不屈の復活優勝を遂げたコースとしても名高い。短い距離のコースながら至難のコース。金田さん本人は世界アマでは11番でダブルパーを叩き、8Oを切れなかった悔しいコースである。
 簡単に見えてなぜにこうまで難しいのか、それはマスターズが行われるオーガスタも同様であった。金田さんは自らの体験からゴルフコースを研究していくことになる。名門コースがなぜに名コースなのかを考察するうちに多くの知識を得て、自らコースの改造や設計を行うことになっていく。最初は1970年の相模CCの改造。その後、ロバート・トレント・ジョーンズとその弟子マイケル・ポーレットと協力してオークヒルズCCを造成した。こうして1984年には満を持して盛岡郊外にメイプルCCを設計。金田さんにとって初の単独設計だったが、その面白さ、巧みさ、美しさは東北随一。今や名門と呼ばれるほどである。
 メイプルCCの成功で設計家として実力を評価され、その後、北海道でシェイクスピアCCとトーヤレイクヒルGC、秋田県にノースハンプトンGC、茨城県に古賀GL、千葉県に大多喜城GCと日本全国に6コースを設計した。これらの実績から金田さんは日本ゴルフコース設計協会の発起人となっている。
 金田さんはそうした様々な仕事をする傍ら、新聞や雑誌の執筆にも精力的に取り組んだ。実際はこちらが本職、つまりゴルフジャーナリストの顔が本当の金田さんだったのではないかと思わせる。金田さんの文章は巧みで含蓄が詰まっている。それは上記に記したように金田さんの豊富な経験がものを言っているのだ。日本代表選手としての実践で知ったこと。それも主将として対戦相手や試合の舞台となるコースを研究したこと。スーパースターを取材して知った彼らの頭と心。良いゴルフコースとはいかなるものか等々。そうしたことから内容の濃い素晴らしい文章の記事や本が生まれたのである。
 具体的には日本経済新聞で長期連載となった「グリーンサロン」。さらに『週刊朝日ゴルフ』や『月刊アサヒゴルフ』、『経済界』や『ゴールドエイジ』の連載など、金田さんの筆はゴルファーだけでなくビジネスマンをも唸らせた。英語が堪能で内外の経済に強く、しかも人間と社会の有り様への見識は鋭く深い。それがゴルフやビジネスに結びつくのであるのだから、彼の著作本が面白いのは当前である。特にゴルフ本の素晴らしさは日本では金田さんを超える人はいないと断言しても良いほどだ。だからこそ、クラブオノフのゴルフ好き、ゴルフ本好きの皆さんにはぜひとも金田さんが書いた本を読んで欲しいのである。

金田さんが実際に見て聞いて知ったトッププロの真実

 金田さんの著書は多い。海外のトッププロのことを分析したものに、本書『現代ゴルフの心と技術』、これを含む3部作として『現代ゴルフの概念と実践』、『現代ゴルフ 勝利の方程式』がある。この他に『ゴルフの巨人たち』『決定版アメリカ打法教典』、『ビッグ3のプロ根性』、『名手たちのゴルフ名言』などがあり、レッスン本の訳書として『ジャック・ニクラウスのゴルフ・レッスン』、ケン・ベンチュリーー著の『アメリカン・スイングのメカニズム』、『ボブ・トスキ・スーパーゴルフ』。『ワイレン博士の飛ばすゴルフ』など、現代アメリカン打法を紹介、分析する著書が目立つ。この他、自己のレッスン書に『ゴルフが55歳からぐんぐんうまくなる』、エッセイに『ゴルフ人生はアドリブ』や『知的ゴルフ』があり、さらに『ゴルフルールの心』『ゴルフマナー』『ゴルフ雑学辞典ルールとマナー』など紳士のスポーツと言われるゴルフ精神の根幹、ルールやマナーをも記述するのである。
 こうして金田さんの著書を見ると、やはり「現代ゴルフ」についてのものが多く、ここに金田さんが言いたかったことあることがわかる。では、金田さんが言う「現代ゴルフ」とはいかなるものか。これは金田さんが実際に見た、世界を席巻したアメリカのトッププロたちのゴルフである。時代的には戦後活躍したゴルファーと言ってもいい。そしてその「現代ゴルフ」の創始者は1912年生まれのバイロン・ネルソンであると金田さんは断言している。PGAツアーで52勝を挙げ、1945年には年間11連勝を含む18勝を挙げた、今もその記録が破られていない偉大なゴルファーである。
 それまでにアメリカではボビー・ジョーンズやウォルター・ヘーゲンというスーパースターがいたが、金田さんに言わせれば神話の時代のゴルファーだという。要は理論的なゴルフではなく、あくまで感覚のゴルフと分析する。私からすればジョーンズの著書を読むとそうとも言い切れないと思うが、道具はヒッコリーシャフトの時代でそれに適うスイングをしていたわけで、それは金田さんが推奨する「現代アメリカン打法」とは異なる。ましてやそれ以前の英国(スコットランド)の打法はまったくの変則的な古典として金田さんは捉えている。
 となれば、「アメリカン打法」の創始者はスチールシャフトを使う名手であり、それはバイロン・ネルソンとなるのである。そしてその打法はリストを使う旧式打法ではなく、リストを固めて体全体のターンで打つ打法であった。つまり、リストターンなく、ボディターンのスイングである。これはクラブヘッドの開閉で打つ打法ではなく、スイング中、クラブフェースは常にスクエアを保つスクエア打法である。金田さんはバイロン・ネルソンのスイングを「スクエア・フェース・システム」と呼んでいる。これは目標に向かっていつも正確に打てる打法であり、だからこそPGAツアーで最も多くの勝利を獲得することができたのである。
 今回紹介する『現代ゴルフの心と技術』は大きく2つの章に分かれている。第一部が「現代ゴルフの系譜」であり、第二部が「国際的な理解への試み」である。第一部の最初のゴルファーは当然、バイロン・ネルソン。ボディターンとスクエアシステムの打法は不確定要素を排除するものだとして、金田さんによるその例えは単にゴルフに留まらず、アポロの宇宙科学技術が例に出されたり、ビジネスのマーケットシステムが挙げられたりもする。ゴルフは「天地人」によるものとし、自然という天の不確定要素を持ちながら、いかにコースという地とゴルファーという人のハードウェアに信頼を置けるかにかかっていると看破する。
 ネルソンに続くのはネルソンと同じ歳のベン・ホーガン。鬼、鷹、鉄の男と呼ばれたホーガンの心と技術を分析してみせる。猛練習をする理由が「ミスしてもミスにならないようにするため」の言葉に、金田さんは確率を重んじたゴルフを見て取る。ホーガンの秘密であるトップオブスイングについても、ホーガンが僅か4、5度の角度でフェースを開くといった微妙な部分にも着目。彼のマシーンのような正確なショットが生み出される理由を語っている。
 3人目もネルソンと同じ歳のサム・スニードである。今も破られていない(タイガー・ウッズがタイ記録)PGA82勝のスーパースターだ。そのスニードの才能と天才性を金田さんは分析していく。4人目は「ウイニングエモーション」を大事に戦ったケリー・ミドルコフ。「勝てる感覚」が来るまでじっと待ってスイングする選手だと看破している。5人目は完全主義者のトミー・ボルト。完全主義者の脆さを解説する。次が淡々としたゴルフを敢行するジュリアス・ボロス。静のゴルフで動のパーマーを撃破した話を披露する。
 ビリー・キャスパーは4つのD。ディザイアー(意欲)、デディケーション(献身)、ディターミネーション(決断)、ディシプリン(規制)の4つのDがチャンピオンには必要とキャスパーは説いていた。特に彼は節食と食事療法という自己規制を行って体質改善し、全米オープンなどのチャンピオンになった。ここで金田さんは徳川家康の言葉「人生は重い荷を背負い、遠い道を行くが如し」という言葉を例に出している。トニー・レマは「パットはアクセレート」、加速が大事だと言い、彼のスイング、「キャディディップ」を解説。さらに捨て身わざのコース攻略を柔道の巴投げのようだと分析している。
 こうしてアーノルド・パーマーに話が移る。ライバルとの競い合いではなく、自分の限界に挑戦したからこそスーパースターになったと金田さんは説く。微動だにしないパッティング、「パーマーロック」も参考にしたい技術である。そして、パーマーを広告塔に仕立てたマネージャーのビジネスにも話は及ぶ。まさにマーチャンダイジングだと。スーパースターの条件はビジネスマン資質だと言うのである。パーマーの次はジャック・ノクラウス。彼のゴルフで集中力とはいかなるものかがわかる。小さな体で世界を驚かせたゲーリー・プレーヤーは成功への長期計画を立て、自分に投資し、生産力をアップしたからこそビッグ3になったという。彼のやり方は敏腕社長の会社経営そのものだと言う。
 野人、リー・トレビノの話も面白かった。帝王ニクラウスに勝てた理由を自己催眠術だとする金田さん。最後はアメリカンゴルファー全盛時に気を吐いた英国人、トニー・ジャクリンの国際性に着目する。小さな英国に留まらず、大国米国に体ごとぶつかっていった勇気を賞賛。「鯉は大きな池で育てれば大きく育ち、 小さな池では小さく育つ」と養鯉家の言葉を例に出し、日本のプロも大会を目指せと諭す。
 ジャクリンは1944年生まれである。つまり、ネルソンからジャクリンまでの約30年間の世界のトッププロの「現代ゴルフ」を金田さんは解説したわけである。この後のスーパースターであるトム・ワトソンやセベ・バレステロス、グレッグ・ノーマンなども金田さんはどこかで解説しているはず。ぜひとも読みたいものである。

第二部「国際的な理解の試み」は日本のプロゴルファーへの警鐘

 第一部「現代ゴルフの系譜」で金田さんのゴルフとプロゴルファーに対する慧眼に驚かされたわけだが、第二部は日本のプロゴルフ界とプロゴルファーへの金田さんの期待が表れた内容となっている。1960年、世界アマに出場した日本チームは優勝したアメリカチームとの実力差に愕然とする。初の海外挑戦となった中部銀次郎はニクラウスのパワーゴルフに驚愕、プロになる夢を断念するくらいの衝撃を受けた。これは主将だった金田さんも同じ思いだっただろう。どうすれば日本のゴルフが世界のゴルフに近づけるのか。それを考察するためにアメリカのゴルフを見続けたと言ってもよいのかもしれない。
 実際には尾崎将司選手や青木功選手、中嶋常幸選手が健闘していくわけだが、アメリカと日本の差はなかなか縮まらなかったと言っていい。丸山茂樹選手がPGAツアーでアメリカ本土優勝を果たすが、メジャータイトルは遠かった。ようやくメジャータイトルに手が届いたのは松山英樹の2021年マスターズである。金田さんの世界アマから実に61年後のことだった。2006年に亡くなった金田さんは松山の優勝を知るべくもなく、長く苦しい日本のゴルフをどうすれば世界に近づけるか、打倒アメリカが可能なのかを金田さんはいつも考えていた。その一つの考察がこの『現代ゴルフの心と技術』の第二部「国際的な理解への試み」である。
 最初の文章は「300ヤードとシグニフィカンス」。シグニフィカンスとは意義の意味だ。ゴルフで飛距離は大きなアドバンテージになるが、世界で活躍するにはそれ以上にクレバーなコースマネジメントが必要だと金田さんは説く。次の「真の国際性と心」では国際舞台で己の腕を磨けと言い、さらに勝負に勝つには「狩猟民族の血」が必要だとし、それには武者修行をすることだ言う。
「マスターズ・トーナメントとの本質」では腹(決断)、勘、技、運の4要素が優勝するのに重要だと説いた。まさに松山の優勝はこの4つともあったように思える。「激情の制御」ではマインドコントロールの大事さ、激情をエネルギーに変える方法を考察している。最高のショットを求めず、最良の結果を求めよ、自分の中で頼れるものと信じられるものの大事さ、外国の選手を見て宗教も強さをもたらす一つではないかと考える。そうした意味では縁起担ぎも一つの方法だとする。
 面白かったのは「リズムと個性」。小さな体で大きなサム・スニードを倒したポール・ラニアンは「スイングの秘訣はリズムである」と説いた。金田さんはそれを美と静の茶道の中に見るのである。プロとは何か、ファンに喜んでもらえるなら商品にもなるというデビット・グラハムやウォルター・ヘーゲンの「種まき」というプロ根性も金田さんは讃える。「呼吸とスイング」の関係を説いたコラムも面白かった。「深く吸ってそろそろと吐く」。バックスイングで吸って、ダウンスイングでそろそろと吐く。これならゆったりしたスイングができそうだ。トップで息を止めるのも切り返しにいいかもしれなと私は思った。
 世界のトッププロから素晴らしいスイングと折り紙をつけられた戸田藤一郎は、「皮で握るグリップ」だったという。これはギュッと握らないための方法で「クラブに仕事をさせる」技だったという。これも私には参考になった。「台湾プロの国際性」では日本のプロが意地悪だったという話。それに耐えて静かに闘志を燃やした台湾のプロは強かった。金田さんは激情を上手く抑えられる選手が強いと言う。
 「人間とイメージ」ではイメージが実体で人間が影になる場合のことで、人間は周囲が抱くイメージの制約の中で生きているとする。ならば、いかにそのイメージ通りにプレーするか。それができる選手が強いと言う。「喧嘩上手」は外国人の言い争いについての考察。言いたいことを言ったらさっぱりと忘れて仲直り。こうした喧嘩上手が日本人が国際的な選手になるには必要だとの見解だ。
「スクラップ&ビルド」は壊して建てる意義を説く。新しいことに挑戦しなければ前進はないと。それはゴルファーだけでなく経営者にも当てはまると金田さんは帝人の社長だった故大屋晋三さんの言葉を用いて説明。「問題意識」は最悪を予想するか、最善を願うかの違い。要は危機管理ができている人間は最悪の事態が起きても慌てずに処理できるというわけである。「アイソメトリック・メソッド」は必要な筋肉を事前に鍛えておくということ。ゴルフではインパクトの形を作って体に覚えさせる。忘れてたことだったのでやってみたいと思った。
「孤独な勝利」はチャンピオンと経営者は孤独だということ。宮本武蔵のような孤独な「殺しの本能」がなければチャンピオンにはなれないと金田さんは説くが、何とも悲しい。「勘と情報」はマーケットリサーチの上に鋭い勘があれば鬼に金棒。単なる勘は当てずっぽうであると言い切る。「器用貧乏より不器用の一つ覚えよ」はゴルフでも役に立つ教えである。
「個人と国家」のコラムも考えさせられる。国を思えば力が発揮できる。これをつまらないナショナリズムと捉えないで欲しいと金田さん。私も国の威信を賭けて戦える選手は強いと思う。次はゴルフは意外と体を痛めるスポーツだという話。怪我に強い選手は長く活躍できる。普段からのトレーニングの必要性を挙げている。最後は「ボビー・ジョーンズの思想」で「オールドマンパー」の哲学を紹介している。金田さんはマスターズ時に主催者のひとり、クリフォード・ロバーツに会ってジョーンズを紹介してもらい、ジョーンズのカートに一緒に乗せてもらったことがある。本当に凄い人は偉ぶらずフランクでやさしいものだと実感。素晴らしい経験だったと後に語っている。
 『現代ゴルフの心と技術』は以上のような内容の本である。1989年に刊行された今から35年も前の本だが、内容はまったく古くない。それはゴルフというゲームが200年以上も変わらないものだからである。それもたった35年前ならば一層今のゴルフに通ずるものがあるということだろう。ちなみに私は『書斎のゴルフ』の編集長として、亡くなる少し前の金田さんにお会いしている。いろいろなお話を聞かせてもらったが、癌を患っていてお元気な頃のお写真とは別人と思うほど痩せられていた。ホテルオークラのシェフズガーデンで1960年の世界アマや中部さんのことなどを楽しそうにお話しされた。若くて綺麗な奥様が一緒だった。それから1年も経たずに亡くなられてしまったが、きっと思い残すことのない幸せな人生だったのではないかと今も思っている。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は1989年に刊行されました。amazonや古本屋などで中古本を買うことができます。