2023.11.22

[vol. 28]

心に残るゴルフの一冊 第28回


『怪しいスライス』
アーロン&シャーロット・エルキンス著 寺尾まち子訳 集英社文庫
ツアー1年目の「ラビット」女子プロ、
リー・オフステッドに降りかかった怪事件

 本書のタイトル、『怪しいスライス』とは何だろう?表紙のコミックタッチのイラストもどこか子供騙しの感じがして、この本を知ったときは読もうという意欲があまり湧かなかった。しかし、本書は「プロゴルファー、リーの事件スコア1」という副題が付けられ、何とその後4冊も刊行されている人気シリーズなのである。5冊すべてが女子プロゴルファーのリー・オフステッドが主人公というゴルフものミステリーであり、すべて邦訳されている。となれば、読むしかない。最初から歯切れの良いテンポで物語がどんどん進み、ワクワクが止まらず、あっという間に読了。誠に楽しく読めるゴルフ・エンタメ小説であった。
 シリーズの記念すべき第1弾となる『怪しいスライス』の原題は“A WICKED SLICE”。“WICKED”の意味はいろいろとあり、「邪悪な、不道徳な、酷く悪い、悪ふざけの、意地が悪い」とあり、そこから「苦しめられる、絶えられない、不快な、吐きそうな、気持ち悪い」という意味にもなる。一方、スラングでは「最高の、素晴らしい、優れた」といった真逆の意味になる。それらの中から、訳者が「怪しい」を選んだのは何故か。本書を読んだ私は「邪悪なスライス」とするのがわかりやすかった気もするが、意訳して「罪深きスライス」などが良かったのではないかと勝手に思っている。それなら、ミステリー感満載だと思うのだが、いかがだろう。
 また、読む以前に子供騙しのミステリー小説と思ったことは大きな間違いであるとすぐにわかった。この本はアーロンとシャーロットというエルキンス夫妻の共著だが、アーロン・エルキンスは大学教授を経て作家に転身、『古い骨』という作品で権威あるエドガー賞を獲得している骨太の推理小説作家だった。エドガー賞はエドガー・アラン・ポーにちなんで付けられた賞で、さしずめ推理小説部門の直木賞といった所である。『古い骨』はスケルトン探偵シリーズの一作で日本の推理小説ファンには馴染み深い作品だろう。また、アーロンの妻のシャーロットはエミリー・スペンサーの名でロマンス小説を発表している。
 二人はアメリカ・ワシントン州で仲睦まじく好きなゴルフをしながらこのシリーズを書き進めたようだ。というわけで、この『怪しいスライス』は本格ミステリー作家とロマンス小説家が力を合わせてストーリーを練り上げたわけで、事件解決の謎解きの面白さにラブコメディーを併せ持った楽しい作品になっているのである。

主人公、リー・オフステッドってどんな女子プロなのだろう?

 本書『怪しいスライス』の主人公は女子プロツアー1年目という新人のリー・オフステッド。まずは彼女のことを紹介しよう。リーがプロになったきっかけは彼女が陸軍にいたときに2ドルの抽選券を買った所、保養施設で週末ゴルフができるという権利を引き当てたことによる。その後、陸軍の継続教育システムでゴルフを学び、公営ゴルフ場に勤務しながらプロテストに合格、ツアーカードを手に入れたという通称「ラビット」と呼ばれるその他大勢の金欠プロの一人である。父はセメント塗りの職人、母は専業主婦という、子供の頃からゴルフを習っていたというハイソな家庭のジュニアではまったくなかった。
 そんなわけで、アメリカ中で行われる大会に出るだけでも経費がおぼつかない。所属のゴルフ場に借金をし、毎試合、赤字にならないよう、予選通過を最大目標としている。食事はファーストフードか無料で食べられる大会会場での食事。ホテルは誰もが驚くボロ安モーテルである。クルマは持っておらず、移動はリッチな先輩ゴルファーに同乗させてもらうといった有様だ。
 しかし、そんなリーにも良い所はある。まずは容姿である。身長177cmというスタイル抜群の健康的なゴルファーで、特にミニ丈キュロットからの脚が綺麗という評判。ルックスもなかなか良さそうである。しかも、自己流のスイングは決して悪くない。ワンピースの流れるようなスムーズなスイングで飛距離もかなり出る。努力を怠らず、試合経験を積めば上位にも食い込めていけそうな逸材でもあるのだ。
 手持ちのお金であと何試合参加できるだろうと、不安な日々を送るリーだったが、今週はパシフィック・ウェスタン女子プロアマトーナメントに出場できることになった。大会コースはカリフォルニアの高級ゴルフリゾート、カーメル湾にあるサイプレスポイントである。ここで行われたマンデー予選会でリーは68という素晴らしいスコアを出して本選出場を決めたのだ。本選では最初の3日間をアマチュア3人と一緒に回るプロアマ戦を戦う。チームで勝敗を競い、その順位でアマチュアには賞品が、プロには僅かだが賞金が出る。リーにとっての問題は3日間で個人順位で予選落ちをぜずに、プロだけが回る4日目の最終日で好成績を挙げて大きな賞金を得ることなのである。

事件は女子プロアマ初日のラウンド後、練習場で起きた

 風光明媚でいて屈指の難コースでもあるサイプレスポイント・ゴルフクラブ。ここで予選とはいえ68の好スコアであがったリーは意気揚々と本番初日に臨んだわけなのだが、この日は思いもよらないスライスが何度も出てスコアにならない。セレブのアマチュアからは蔑まれるし、ベテランキャディは不愉快な表情で働く有様。特に3番ウッドがひどいスライスとなってリーを苦しめる。最後のホールまで改善できず、80の大叩きをしてしまったのである。
 むかついてホールアウトしたリーに寄ってきたのはゴルフクラブの理事長で競技委員長のニック・ピットマン。言いたくもないスコアを聞かれるかと思いきや、ケイト・オブライアンというスター選手のことだった。彼女を探してもどこにもいないし、連絡も取れないと言う。リーはスター選手の気まぐれだと思うものの、失格になるようなことはしないはずだと訝しむ。とはいえ、頭の中は自分の醜いスライスショットのことばかり。さっそく練習場に駆け込んで矯正しようとするわけだが。
 いつものように構えていつものようにスイングする。結果はナイスショットのはずが、あにはからんや、酷いスライスとなって右サイド奥にある池に飛び込む。周囲の人間にどこが悪いかを尋ねるが問題はないという。つまり良いスイングだというわけである。この大会では練習場での練習ボールは自分のボールを使うことになっている。安いボールを使うリーでも無くすのは痛い。芝に残ったボールを拾い集めたあと、池に入ったボールもシューズとソックスを脱いで拾いに行く。
 池の中にはロストボールがたくさんあり、池に入れたボールよりも多くのボールを手に入れて喜ぶリー。調子に乗ってさらに探したら、ゴルフシューズが出てきた。思い切って引っ張るや異常に重い。重いシューズをさらに引っ張るや人の足のようなものがくっついている。さらに引っ張るとこれはもう人間なのである。身がすくむような恐怖。ぬるぬるした池の底に足を取られて叫び声を上げるや、一緒に回ったアマチュアの一人、練習していたペグ・フィスクが横にいた。二人で必死に重い死体を岸に引き上げる。と、それはニックが探していたケイトであったのだ。しかも青白い額はカップほどの大きさの窪みがあった‥‥。

謎解きはゴルフプレーの後で?それとも前から?

 予選通過や賞金獲得のためにゴルフに集中しないといけないリーなのだが、当然警察で事情聴取される。ここで知り合うのがまるで警官とは思えないグレアム・シャルダン警部補。ハンサムでやさしく賢いスマートな刑事。リッチでハイソなゴルファー嫌いの彼も、金欠で正直で可愛いリーが犯人ではないと確信、しかも気に入ってしまうのである。リーも彼の真摯で温厚な人柄に惹かれてしまう。
 とまあ、早くもロマンスの予感。おいおい、ゴルフが疎かにならないのかいと、私のような親父ゴルファーは心配してしまうのだが、リーはゴルフに集中し、事件解決にも一役買っていく。というのも、グレアムがゴルフを知らないためで、事件はゴルフをわかっているからこそ真相に追いつけるとリーが思うからであり、一緒に死体を引き上げたペグも協力するからである。
 こうしてまずはケイト殺しの凶器がわかる。それはリーが持っていた3番ウッドだった。なぜにこの凶器がリーのキャディバッグに入っていたのか。そこから謎解きが始まるのだが、リーがそれを凶器だとわかったのは死体が上がった翌日の本番2日目のプレー前の練習場である。フェースの角度やネックの曲がり様が自分のものと違うと気がつき、さらに血のような茶色い汚れがヘッドに付いていたからなのだが、もしもそうならば前日の初日のプレー中に気がつくはずだし、ラウンド後の練習では尚さらだと私は思うのだがいかがだろう。プロならば僅かの違いも違和感となってわかるはずである。そのことをこの本の巻末に感想を書いている東尾理子プロも指摘している。このコラムを読む皆さんがこの場面をどう思うか、ぜひとも知りたいものである。
 とはいえ、誰が犯人であるかは簡単にはわからないストーリーとなっている。リーのトーナメントでの活躍やグレアム警部補とのロマンスの行く末など、読みどころは満載である。スピーディで軽快なストーリー展開、好感の持てる登場人物のキャラクターやトーナメントの裏事情などを巧みに盛り込んだこのミステリー小説がヒットしたのは大いに頷けるところ。ゴルフとミステリー小説が好きな人はぜひご一読を。このコラムを書く私は、この「リーの事件シリーズ」をすべて読みたいと思っている。
(完)

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は2011年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。