『GOLFという病に効く薬はない』
黒鉄ヒロシ著 幻冬舎刊
ゴルフは男の嗜みであり文化、
歴史好き漫画家が描く痛快ゴルフ史
本書『GOLFという病に効く薬はない』は子供の頃から歴史が好きで、武蔵野美術大学に入りながらも漫画家となり、歴史漫画で確固たる地位を築いた黒鉄ヒロシさんのゴルフ史漫画である。
トム・モリス親子からベン・ホーガン、ボビー・ジョーンズなどの偉人たちの伝説や秘話、ホールインワンやドラコン、ニヤピンなどの摩訶不思議なゴルフ用語、ゴルフの起源や発祥、さらにはルールの原点、クラブやボールなどの道具、ファッションに至るまで、様々なゴルフにまつわる歴史的な話を90編、各3ページずつに上手にまとめたものである。
歴史好きな黒鉄さんだけに、おそらく古文書なども含めて膨大な資料を読みあさり、丁寧に分析して各物語を描いたことがわかる。黒金さんらしいギャグを織り込みながら、面白おかしく、しかもとても勉強になる話に仕立てている。ゴルフ通でさえ知らないと思われる話がてんこ盛りである。
黒鉄さんは1968年23歳のときに『山賊の唄が聞こえる』で漫画家としてデビューしたあと、52歳となった1997年に『新撰組』で文藝春秋漫画賞を受賞、
98年に『坂本龍馬』で文化庁メディア芸術祭において大賞受賞、『赤兵衛』で小学館漫画賞を受賞する。それまで大橋巨泉が司会していた「クイズダービー」の解答者として顔を知り、漫画家としてよりも挿絵画家と思っていた私は、50歳を越えてからの黒鉄さんの骨太の漫画に驚愕するとともに、厚みのある歴史観に舌を巻いたものだ。
こうして漫画家として油の乗りきった黒鉄さんの新たな挑戦がこのゴルフ史漫画だったと言えよう。黒鉄さんは麻雀や競馬やなどのギャンブル好きとして知られていたが、ゴルフも愛好していた。ゴルフはもともと英国ではマッチプレーで行われ、賭の対象となったゲームだけに黒鉄さんの趣味に合っていたのだろう。
一緒にプレーするゴルフ仲間は『オバケのQ太郎』や『笑ゥせぇるすまん』の藤子不二雄Aさんで、この本にも黒鉄さん本人とともに物語の進行役としてたびたび登場する。腕前は読売カントリークラブのメンバーでもあった藤子さんのほうがかなり上手だったようだ。黒鉄さんは70台はおろか、80台もなかなか出せないアベレージゴルファーであると自ら認めているが、それだけにダッファーの悩みが随所に滲み出て共感を呼ぶのである。
本書のタイトル『GOLFという病に効く薬はない』は、黒鉄さんのゴルフへの愛情が表れたものだ。黒鉄さんは述べている。
「ゴルフは病です。ゴルファーは患者で、ゴルフ場は壮大な病院です。処方箋がないので、レッスン書などをみて自分で答えを探すしか方法はない。ゴルフはいわば先駆の病人の歴史そのものといえます」
この本の90編は2008年1月から2009年11月まで週刊ゴルフダイジェストに連載されたものを幻冬舎が1冊にまとめたものであるが、どの話しもゴルフ病に冒されたゴルフ患者の物語だ。偉大なプロだけでなく、無名のプロもクラブやボール製作者も全員ゴルフ病に取り憑かれたゴルフ病患者である。もちろん、この漫画を描いている黒鉄さんもここまで調べ上げるかというマニアックぶりは研究者を超えたゴルフ重症患者といっていいだろう。
ではいくつか、この本の中からゴルフ病に冒された人物の話を拾ってみよう。
名手ホーガンは分身の術を使って偉大な選手となった
まずは黒鉄さんが取り上げた偉人たちの話しから。メジャー9勝、PGAツアー64勝を挙げた「ザ・ホーク(鷹)」といえばベン・ホーガン。ポーカーフェースだった故に「アイスマン」とも呼ばれたが、その理由と一因なった彼の夜の顔を暴露している。
ホーガンはプロとしてなかなか芽が出ず、生活費を稼ぐために夜はカジノで働いていたという。ダイスやカードのディーラーをしていた。つまりルーレットでサイコロを振り、ポーカーでカードを配っていたことになる。何人もの証言があり、その中には全米プロ優勝者のポール・ラニアンが「ホーガンのカード捌きは我々とは全く別格だった」と語っている。どんなカードが配られたかわかるようではディーラーは勤まらない。果たしてホーガンはポーカーフェースになったというわけである。
ホーガンの冷淡な物言いも黒鉄漫画になっている。ホーガンを尊敬していたゲーリー・プレーヤーがスイングの悩みをホーガンに電話をかけて相談すると、ホーガンは「君のクラブは何かね?」と尋ね、プレーヤーが「ダンロップです」と答えると「では、ダンロップ氏に訊きなさい」と言ってガチャンと電話を切ったとか。1948年の全米プロで一緒に回った選手が「暑くてゴルフになんねえよ」とこぼすと、これを聞いたホーガンは「暑いのは君だけか?」と言い、1946年の全米プロではスタートで7を叩くも68で上がり、記者が「7打についてコメントを」と求めると、ホーガンは「そのために18ホールがある」とだけ言ったとか。優勝スピーチも毎回「名誉ある試合で勝てて光栄だ」の一言だけ。このそっけなさはさすが「アイスマン」、笑い話になってしまう。
そのホーガンが「猛特訓は誰からヒントを?」と訊かれ、「へニー・ホーガンからだ」と答え、「誰ですか?」に「自分の左肩を指した」と言う。野球にも詳しい黒鉄さんは、このことをメジャー初の4割バッターとなったテッド・ウィリアムズが左肩を指して「テディ・ボールゲームが打てと言った」という逸話を思い出してしまう。つまり、大記録を打ち立てるような超人は自分の中にもう一人の自分を見つけているということ。それが自分の迷いを吹っ切らせ、自信を与えてくれることを知っていたというわけである。
つまり、ホーガンは分身の術を使って、プレッシャーを克服し、偉大な選手になったと黒鉄さんは分析。とはいえ、これもひとつのゴルフ病であろう。
スニードは落雷で死に損なって以来、一番の怖いものとなった
黒鉄さんはゴルフ場で落ちる雷について描いている。
まずは自分のこと。ピカッと来たら「僕ならアイアンを投げ捨てて避難小屋に走ります」と言い、前の年に小屋に逃げ込んだときに、落雷にあった人間の遺体の悲惨さを話す得体の知れない人物がいて、その人が幽霊だったかもという。さらに1902年のスコットランド「カールークゴルフクラブ」における4人のゴルファーがグリーン上で落雷に遭って全員焼け死んだ話を例に出して、サム・スニードの落雷伝説に展開する。
ベン・ホーガン、バイロン・ネルソンと並ぶ1912年生まれの偉大なるゴルファーであるスニード。メジャー7勝、PGAの優勝は歴代1位タイの82勝を挙げている。ストローハットがトレードマークで、バージニア州の森の中で生まれ、訛り丸出しの語り口が人気だった。
そんなスニードが若い頃に落雷に遭遇した。雷が鳴り、大木の下に避難したところ、その木に雷が落ちたのだ。スニードは失神、同伴者は命を落とした。それ以来、スニードはゴルフで怖ろしいものは3つあり、「一つめが雷で、二つめがベン・ホーガン、三つめが下りのスライスラインのパット」と言ったという。死ぬ危険があったのは雷だけだから当然、第1位にランクされたのである。
180cm、86kgの立派な肉体を持つ男も雷だけはとても怖ろしかったのだ。
しかし、黒鉄さんの雷の話はこれで終わらない。冗談好きのスーパーメックスことリー・トレビノが1975年6月27日のウェスタンオープンで落雷事故に遭った。グリーン脇でキャディバッグに寄りかかっていたトレビノに直撃、命だけは落とさなかったが脊椎を損傷。手術するほどの重症を負った。とはいえ、入院先でもトレビノの冗談は冴え渡る。
「あれで肩凝りがなくなったよ。電気ショックだね。今度雷雲が近づいたら1番アイアンを頭の上に立てておくよ。1番アイアンは当たりにくいからね」
お後がよろしいようで。ともあれ、黒鉄さんが描く雷が落ちたときのトレビノの顔が面白い。ぜひご賞味あれ!
黒鉄さんが描く、真っ直ぐ飛ぶボールの処方箋とは?
クラブやボールなどの道具の歴史的な話も黒鉄さんはかなり丹念に調べて描いている。私が面白かったと思ったのは飛ぶボールの話。ボールを温めるとよく飛ぶという話は聞くが、黒鉄さんは『アプローチのすべて』を書いたプロゴルファーのジャック・エリスの話を例に出す。
「保育器を常温36度に保ち、その中にボールを保管、冬場のゲームともなると、保育器から取り出したボールを特製の革袋に入れて背中で温めながらプレーした」
理由は「ボールに風邪を引かせてしまうと飛びが悪くなる」なのだから笑ってしまう。
次はアイルランドのクリスティ・オコーナー。
「彼は1個のボールに生命を感じたおそらく最初のゴルファー。使用前のボールたちは仮死状態で眠っているのだと考えた。衝撃を与えて内部の分子を目覚めさせる必要を感じて、すべてのボールを20回は引っぱたいてからゲームに臨んだ」
笑えるのはショットを打つオコーナーの吹き出しが「Good Morning!」であること。ボールを打って目覚めさせたのだ。
さらに笑えるのは全英アマ常連のモーゼス・リッチの話。リッチはゲームの前夜、身の回りのボールを並べて、演説をしたという。
「明朝は諸君の出番であーる!去年は誠に残念であった。責任は君たちとボクとでイーブンとしよう。だが!しかーし!ボクがナイスショットをしたにもかかわらず諸君の中には遊び半分で飛んだ不届きモノがいたーー!この際、罪には問うまい!明日のゲームの役割について確認しておこう。ドライバーで打たれたら、死んだつもりで目一杯飛んでくれたまえ!」
アイアンとパターでも一席ぶって「本日のミーティングが以上であーる!」ときた。ボールに演説をぶってしまうのは何とも滑稽だが、それも全英アマなどの優勝がかかってくれば致し方ないか。まあ、21世紀の今でもボールを目の前に出して、「ナイスショットしてくれよ!」とお願いするゴルファーはいるのであるから。いつの世もゴルフは病、ゴルファーは患者である。
ホールインワンの確率は?
この本の中で黒鉄さんはゴルフルールやゴルフでの記録、ゴルフ用語についても歴史的な背景を調べて教えてくれるが、その中にホールインワンの話がある。
まずは「ホールインワン」の正しいゴルフ英語は「ホール・メイド・イン・ワンストローク」であり、「エース」と呼ぶのはアメリカ人が20世紀にカードゲームからとった造語だと黒鉄さんは教えてくれる。そういえば、キャンディーズの歌にも「ハートのエースが出てこない」なんていうのがあった。
記録に残るホールインワンを黒鉄さんが調べてくれたところによれば、全英オープン4連勝のヤング・トム・モリスが初めて達成したという。1860年、プレストウィックで開催された全英オープン、8番ホールでのこと。
1869年のマッセルバラでの全英オープンでは一人のアマチュアが打ったショットがカップに入っていたのだが、薄暗い黄昏時の時刻だったためにロストボールだと勘違い。打ち直したためにホールインワンは消滅、7打のスコアになってしまった。
こうした珍事は逆光でショットが見えないなど他にもかなりあったようで、「パー3でボールが見当たらないときはカップの中を覗け」と黒鉄さんが諭している。さらに、ホールインワンの出やすい条件や確率については、A・ベルの研究成果を例に出してくれる。ベルが漫画で語る。
「ホールインワンの最も出やすい距離は130〜140ヤードのショートホール。季節は1位が6月、2位が8月、3位が11月。気候は薄曇りの無風。時間帯は午前対午後の比率20対80で午後の勝ち。ショートホールをチャンス1とすると、男子プロ及び男子トップアマのホールインワンの確率は3700分の1、女子プロと女子トップアマなら4660分の1,一般ゴルファーは43000分の1。さらに1ラウンドに4つのショートホールとして計算するならば1万回と750ラウンドにしてやっと1回!」
1万回して1回となれば、難しいのは当然。ちなみに黒鉄さんは未経験であるが、藤子不二雄Aさんはあったとのこと。アメリカのノーマン・マンリーという人は511回も達成しているそうだ。
他にもたくさん面白い話があるし、どの話も主人公の顔や姿などの漫画が愉しい。さらに黒鉄さんならではの写真を基にした劇画タッチの絵も素晴らしい。ゴルフ好きなら、いや、ゴルフ病にかかっているゴルフ患者なら、読まずにいられない本である。内藤陳さんなら「読まずに死ねるか!」なのだ。
文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)
※本書は2013年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。