2022.11.16

[vol. 16]

心に残るゴルフの一冊 第16回


『四千文字ゴルフクラブ』
佐野洋著 文春文庫刊

普通のゴルファーを登場人物にした
あるある話を巧みに小説にしたショートショート

ゴルフを題材にした面白い読み物はないかなと探していてこの本、『四千文字ゴルフクラブ』を見つけた。佐野さんは推理小説の名手であるが、これまで1冊も読んだことがなかった。私が海外ミステリーやハードボイルドのファンだったからかも知れないが、特にこれがという一冊を薦める友人がいなかったせいかもしれないし、ベストセラーと言えるものを聞かなかったからかも知れない。それだけにこのゴルフものが面白いかどうかもわからず、表紙の唐仁原教久さんのシブいイラストに惹かれて読もうと思ったと言ってもいい。
ところがいざ読み始めたら、佐野さんの書き手としての巧みさにグイグイと惹かれてしまった。この本には一編が4000文字というショートストーリーが27編詰まっている。短編を9つずつ3つに分け、それぞれをホールに仕立て、9ホール3コースとして1ホールずつ読ませるというものである。1ホール4000文字の物語故に『四千文字ゴルフクラブ』のタイトルになったというわけだ。
いずれの話も登場人物や内容が異なり、しかもそれぞれの話がゴルファーなら「あるよなあ」と思わせる「あるある話」で、しかも作家ならではの鋭い視点があるのだから面白い。話のオチまできちんと用意されているし、さすがミステリー作家だけに読者に推理させる短編もある。どれもこれも軽妙なタッチで洒落た雰囲気。調べたら、佐野さんは短編の名手とのこと。さすがだなと唸らざる終えない文章だった。
佐野さんは1928年東京に生まれ、新聞社勤務を経て職業作家になった。2013年84歳で亡くなるまで精力的に筆を執り、日本ミステリー文学大賞などを受賞している。本書は1998年に刊行されたが、元原稿は全日空機内誌『翼の王国』に連載されたものがほとんどである。それだけに想定読者となるスコア100前後のビジネスマンゴルファーが登場人物となっている。
佐野さんは47歳の時にゴルフを始めた。ゴルフは遅く始めるほど「はまる」と言われているだけにかなり真剣に取り組んだようだ。仕事場に「書斎カントリークラブ」、裏庭に「路地裏ゴルフクラブ」と名付けたものを作り、練習にも余念がなかった。文壇にはゴルフ好き作家が多く、彼らとの付き合いもあっただろうが、出版社や印刷所などのビジネスマンとのゴルフもあっただろうし、それ以外の職業の人たちともプレーしたのではなかろうか。
この本には社内コンペや接待ゴルフはもちろん、キャディさんとのやりとりなどが克明に描かれている。ゴルフに魅せられた人たちを自分自身を含めてよく観察していたと思わざる終えない。50歳前後のプレーヤーが多く登場するのは自分と照らし合わせたからかも知れない。

ゴルフが会社の出世にかかわるか、否か?

この本のショートショートからいくつか印象に残ったものを拾ってみたい。まずは最初の9ホール、佐久良コースから。2番ホールは「猪突猛進」でビジネスマンの出世がゴルフに及ぼすもの。
部長の豊田は部課の課長が一人移動になったことから、その穴を4人いる係長のうちから2人を候補とし、どちらを課長にするかをゴルフを持ってはかることにする。ゴルフ好きの豊田は、人物の人柄はゴルフプレーに表れると信じているのだ。
その2人は真鍋と岸本。2人を部のコンペで同組にし、キャディにプレーぶりを観察してもらうことにした。真鍋は慎重派で刻みのゴルフを旨とする。ドッグレッグホールでもショートカットはせずにフェアウェイセンター狙いで、セカンドもグリーン手前に刻んでボギーを取る。一方、岸本は猪突猛進、ドッグレッグでは林越えを狙って失敗するも打ち直しで林を超えてOBバーディのボギーとする。池越えも池前に刻まずにグリーンを狙ってオン。ただし3パットで刻みの真鍋と同じボギーだった。
これをキャディから聞いた豊田は「今は我慢の時代」と、堅実ゴルフの真鍋を課長にすることを決めた。ところが発表前のある日、岸本から相談事を受ける。豊田は人事のことだと予測し「君は企画開発に向いている」と言い訳を用意していた。
ところが相談は専務の娘と結婚するという報告だった。豊田は驚くが、専務が簡単には許しはしないのではと言うと、「反対はなさらないです。なぜなら彼女のお腹にはすでに子供がいます」という返事であった。さすがに猪突猛進、攻撃型ゴルフの人間である。
果たして真鍋と岸本の出世はどちらが早かっただろうか。まあ、そんなことよりも読者としては社内の人事をゴルフで推し量ろうとしたことのほうが怖ろしい。もちろんバブルの頃なら岸田が課長になったのだろうが、この短編が出たときはバブル崩壊の兆しがあった頃。ビジネスマンの出世は世相にも影響されるのか。この話が自分だったらと思うとぞっとするのであるが、まあ、なるようにしかならない。それはゴルフも人生も一緒だろう。
ちなみに3番ホールの「100切りサービス」では、美人で能力の高いキャディがついて、100を切らせるというもの。自信を持ってグリーンの狙える距離(SD)を伝えると、ハンデが算出される。その公式は5H=200-SD。SDが100ならHは20となり、つまりハンデは20と換算される。
そしてドライバーのティショットはT=(250-4H)×8となり、Hが20ならTは136ヤードとなる。ドライバーの平均飛距離は136ヤード。あまりに短いと思うなかれ。OBなら飛距離は0ヤードだし、林は出すだけのショットの距離も含まれるから、平均なら136ヤードだというわけである。この距離などを参考にキャディはホール攻略を教えてクラブの番手を選ぶ。こうして主人公は生まれて初めての100切りを達成するのだ。
自分の実力をわきまえてプレーすれば100が切れるというわけだが、私には公式が参考になった。

父親の年齢以下のスコア(FAS)で回ることも難しい

野菊コースでは1番ホールの話を取り上げよう。室井部長が部下とゴルフをしている。部長は前半のスコアが良く、昼食時にいつも飲むビールを辞めることにした。部下たちには「君らは気にせずに好きなものを飲みなさい」と言うが、メンバーである部長の驕りであるから、部下たちは生ビール大ジョッキを飲みたいところ中ジョッキで我慢する。この時代のビジネスマンは上司に気を使った。
「いつも昼食時にビールを飲んでは午後のスコアをダメにしている。今日はインも何とかしたいんだ」と部長が言えば、すかさず部下の一人が「今日の部長はお見事でした」などとお世辞をのたまう。目玉のバンカーショットがチップインになって部長は「ツキがある」と上機嫌だ。これには「ツキも実力のうち」などとさらに部下はお世辞を重ねる。日本のビジネスマンは大変だ。
昼食が終わる頃、部下の一人が「ファーザーズ・エイジシュートも夢ではありませんね」と部長に言う。これはFASと言って、父親の年齢以下で上がれば達成となるエイジシュートのこと。私は知らなかったが、バブル時代には存在したお祝い事だったのだろう。部長の父親は84歳、後半を42で上がれば達成である。部下は部長のゴルフを盛り上げようと言ったのだが、達成できなければがっかりでなるわけで、余計なことを言ったと言えなくもない。
さて、結果はどうだったかと言えば、父親の年齢に1打多かった。部下の一人が部長の大事なパットの瞬間にくしゃみをしたため、ミスして3パットしたことが痛かった。しきりに謝る部下と、「君のせいじゃない」と言いながら不機嫌な部長。
そのとき部長が言った一言。「父の誕生日は明日。明日だったらFASが達成できたのに」と。するともう一人の部下が言った。「部長、年齢がひとつ増えるのは誕生日の前日ですよ」と。これは法律で決まっていることだった。部長は大喜び。かくしてくしゃみ男は無罪放免となったのである。
野菊コースの9番では面白いローカルルールが物語になっている。高校の同窓会で地元に帰って同級生とゴルフをしたら、グリーンにはピンが2本立っていた。第5日曜だけの「2ホール・サービス」、ここでのホールは穴である。どちらの穴に入ってもホールアウトになる。グリーンに乗ったら近いほうを狙えばいいというわけだ。こうしたルールによって同窓会ゴルフは100切りどころか、ホールインワンまで飛び出した。邪道と言えば邪道だが、地方故の大らかなローカルルール。一度は体験したいと思った。

「ボール探しの名人」の名言

最後の9つの話は洋蘭コース。ここでは1番ホールの「おーい、ボール君!」が面白かった。これまで100切りをしたことがない広報課の根本にチャンスが巡ってきた。17番が終わって93、最終ホールをダボでも100切り達成となる。とはいえ、100の壁は読者の皆さんも知っているようになかなか厚い。スコアを数えれば尚さらである。
さて、根本はキャディが言うフェアウェイ中央にある大きな樫の木の左側を狙った。打った瞬間、ボールは狙い目に飛んでいった。「しめた!」。ところが打球はスライスし、木に当たってしまったのである。運が悪いことにボールは左の深い落ち葉に転がった。ロストの可能性がある。
「もう1球お願いします」と言われ、打ち直した球はテンプラ。次を5番アイアンで打つがグリーンには届かない。次で乗せても5オンである。100切りの可能性が低くなっていく。かくしてボール探しが始まる。自分はもちろん、キャディさんも見つけられない。ところがボール探しの名人がいたのである。広報誌に童話を連載している山岡である。同組の人は午前のハーフに二度もボールを見つけてもらっていた。昼食時に山岡が秘訣を言った。
「僕は子供が好きでよく幼稚園に遊びに行くのですが、ある子が靴を履いてなくって探すように言われると『おーい、靴』と叫んでありかを見つけたんです。彼に言わせると靴がここだよと返事をしたというんです。大人にはない凄い発想だと思いました」
山岡はそれをゴルフでのボール探しに使っているのだという。つまり、「おーい、ボール君!」と叫ぶのである。心の中で。実際、この重要な場面でも山岡はボールを見つけ出した。「ありましたよ。ボールの番号は3番ですが」。根本のボールも3番だった。喜んで打ち、3オン2パットのボギーであがり、見事初の100切りを達成したのである。
しかし、文章はそこで終わらない。何とそのボールはメーカーが違うのであった。根本はそれを言わなかった。山岡に悪いと思ったのか、自分の欲のためか、恥ずかしさ故か。作者の佐野さんは言う。「ボール探しの名人」と謳われ、ポケットに持っていたボールを落ち葉の上に置いたのではないかと。
ゴルファーの心理がよく表れている短編だった。だからこそ身につまされて面白いのだ。
とはいえ、私の知る九州のあるトップアマはティショットを打つ前に毎度ボールに言い聞かせている。「頼むよ、目標に飛んでくれよ」と。「そう念じると、意外といいところに飛んでくれるんです」と彼は笑った。ゴルフは気持ちである。気持ち次第で良くも悪くもなる。トップアマでさえそうなのだ。私もやってみようと思った。
というわけで、すっかり佐野さんの描く人たちの虜になった。今度はミステリーも読んでみたいと思う。作家は死んでも作品が残る。素晴らしい職業である。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は1998年に刊行されました。新刊はないため、amazonなどで中古本が購入できます。