2023.3.2

[vol. 19]

心に残るゴルフの一冊 第19回


新訂「小林秀雄全集」第九巻『私の人生観』から
『ゴルフ随筆』『ゴルフの名人』
小林秀雄著 新潮社
短いエッセイの中に凝縮された
ゴルフがもたらせた人間味と人生観

小林秀雄という文芸評論家の名を知っている人は多いだろう。『様々な意匠』『ランボオ』『ドストエフスキーの生活』『無常といふ事』『モオツァルト』『ゴッホの手紙』など、小説や詩などの文芸批評だけでなく、音楽や絵画などの芸術批評まで行った我が国初の批評家と言われている。ひと昔前までは、小林秀雄の批評文が大学入試テストに必ず出題されるとあって、読む機会は多かったように思う。高い知性と教養から成り立つ小林の難解な文章に髪の毛が逆立つような思いをした受験生もいたに違いない。
私自身も小林の批評文を紐解くことは知識人になった気がして、背伸びをして読んでいたが、内容が頭の中に残っているかといえば?マークでしかない。ところがいつだったか、小林の講演を何かで聴いて、内容のわかりやすさと噺家のような語り口調から難解な文章のことなど何処かに吹っ飛んでしまい、小林の愛好者になってしまったことを思い出す。今でも動画で聴くことができる。「煙草を辞めた話」など、神田生まれの江戸っ子らしい痛快な話しっぷりで笑いが止まらない。(YOUTUBE等でご覧いただきたい)
この話に出てくる「原稿書きはリズムである。考えさえあれば書けると言ったものではない。そんなことをいう輩は素人。バットを持てばホームランが打てると思うのと同じことだ」と言い、続けて「煙草を辞めた途端にリズムがなくなり、間がなくなり、まったく原稿が書けなくなった」と語るのだ。
私にはこの言葉がゴルフと同じだなという思いを抱いた。ゴルフを何も考えずにやっていたときはスムーズにスイングできたものが、本を読んだり習ったりすると、途端に考えばかりが先行してリズムがなくなり、切り返しの間さえなくなってボールに当たらなくなる。それと一緒だと、話を聞いていながらゴルフのことを考えた。  小林の「タバコを辞めた話」にはゴルフのことは出なかったが、小林はゴルフを大層愛好していた。特に晩年はゴルフのことばかり考えていたとも言われる。このことを私は神奈川県の最西端、奥湯河原温泉の加満田旅館に泊まったときに知った。戦前に開業し、多くの文士墨客に愛されてきた宿だが、小林は長逗留して原稿を仕上げた。萩の間が好きだったようで、この部屋を「万点星」と命名している。原稿の疲れを温泉とゴルフで癒やした。年末年始は今日出海や水上勉、青山次郎らも同宿し、湯河原カンツリー倶楽部に繰り出してゴルフに興じたようだ。
このコラムの連載で、小林秀雄のゴルフのことを思い出し、彼が書いたゴルフものの本がないかを探した。ゴルフ単独の本は探し出せなかったので、私の本棚にあった小林秀雄全集を見てみることにした。全15巻をくまなく調べると、第9巻にゴルフのことを綴った短いエッセイが2本見つかった。
『ゴルフ随筆』と『ゴルフの名人』である。

『ゴルフ随筆』は小林秀雄とゴルフ文人たちとの交流

小林秀雄は小説家兼評論家の友人であった今日出海と一緒にゴルフを始めた。小林は1902年生まれ、今は1904年生まれ。二人は東京大学の仏蘭西文学科の同期である。今日出海は僧侶で小説家の今東光の弟であり、『天皇の帽子』で直木賞を受賞している。
小林と今日出海は親友と言ってもよい間柄で、外国旅行では互いに助け合う仲だったが、ゴルフでは罵詈雑言を言い合いながらスコアを争うライバルであった。この『ゴルフ随筆』には、まずは道具の争いが描かれている。
今がスポルティングのキャディバッグを買って小林を挑発すれば、小林も負けじとウィルソンのキャディバッグを購入。さらに今がクラブを新調して小林に見せびらかせば、小林も対抗してニュークラブを揃える。しかもそれが今のものより良いとわかった途端、小林は「やい、今ちゃん、これはお前のより数等高級な品だぞ」と自慢する始末。
もちろんゴルフも一緒にやるわけだが、この一件以来、小林がナイスショットを放っても、今は「いい道具だね」とショットの事は決して褒めなくなったそうだ。まったく子供の口喧嘩である。
小林は今の他に、小説家で演出家の獅子文六や画家の宮田重雄とゴルフを愉しんだが、二人は小林・今以上のゴルフライバル。獅子がナイスショットすれば、すかさず宮田が小林に「あの乙にすました顔を見て見ろ。なんてみっともない顔だ」などと獅子へ聞こえよがしに言う。宮田がグリーンにナイスオンすれば、「あの手つきは皮膚科か婦人科だ」と獅子が罵る。二人はルールでも揉めて小林に意見を求めるから、後輩の小林は困ってしまい、愚痴がこぼれる。
「ゴルフをやりに来たのか、芝の上で口論しに来たのかわからない」
キャディもあきれ顔で二人を見つめるが、彼らが新聞ラジオで有名な先生方とは知らない。「客種がめっきり落ちた」といわんばかりの顔つきだったと、小林はこの『ゴルフ随筆』で記している。
講談社のある編集者が「当時の文士たちは知識人だったが蛮カラだった」と書いている本を読んだことがあるが、要は文士には大学教授のような品行方正さはなく、筆一本で生計を立てている一匹狼が多かったということだろう。文士たるもの「貧乏であっても矜持あれ」の古き佳き時代が終わり、昭和の文士が筆で食えるようになってブルジョワのゴルフを始めたものだからいけない。マナーの悪い文士が多かったようである。
というようなことが、この『ゴルフ随筆』に垣間見られるわけだが、まったくたわいのない話で、小林の高尚な評論とは似ても似つかぬもの。しかし、文章にリズムがあり、落語家の噺のように面白い。小林の評論が苦手だった人、とても短いエッセイだけにぜひ読んで欲しい。

『ゴルフの名人』は小林秀雄がゴルフ名人と会った話

こちらも短いエッセイだが、小林秀雄があるゴルフ名人に会った話である。この人はアメリカで50年もゴルフを愉しんできた貿易商の老人で、現在74歳。老人はこれまでの自分のゴルフをまとめたものを本にして世に出したいという希望があり、小林の叔父の友人で紹介状を携えてやってきた。気持ちの良い笑顔の人で小林の口はすぐに解れた。
小林が「あなたはゴルフの名人だそうで」と言った途端、その人は「あなたと比べれば名人でしょう」などと飄々と言ってのける。とはいえ、小林のゴルフの腕も結構なものだったようで、素晴らしいフォームの写真がある。左腕が真っ直ぐ伸びた力強いトップオブスイングはベン・ホーガンを彷彿とさせるものだ。
その老人は自分の原稿を携えてきた。タイトルは『ゴルフドック』である。病を気にする人は「人間ドック」に入るが、ゴルフが気になる人は「ゴルフドック」に入るがよろしいといった内容だ。読んでよければ小林から出版社にあたって欲しいというわけである。
その人は続けて、「あなたはハンデいくつです?」と小林に尋ねる。小林は「正式にはもらってないです。いつも仲間と遊んでいますので」と答える。するとその老人は「そりゃいけません。それだけでもいっぺん、ドックに入っていただかなくては」と言うのである。
こうしてのんきにゴルフの雑談をした二人。老人は帰りがけに妙な一言を漏らす。
「人生、夢の如し。それをはっきり感じるのです」
さらにこんな事を漏らす。「遺言と言っては大袈裟になりますが、何となくそういうものに類する心持ちを込めて書いたのです」と。
ひと月後、小林は出版社の応接室で老人と再び会う。老人は「お読みくださったか?」とすぐに聞き、小林は「読みました」と答える。『ゴルフドック』の前半は技術のこと、後半は人生哲学だった。その人らしい実のある内容だったが、本にするのは難しいと小林は判断した。
小林は「文章がいけないのです」と言い、老人は「いけないところは直す」と答える。そこで小林ははたとその理由に思いあたる。老人の原稿の中に、「フィーリング」という言葉がしきりに使われているのを思い出したのである。老人は書いていた。
「フィーリングというのは、感じという意味だろうが、ゴルフのプレーには誰のものでもない自分自身のフィーリングというものを持つことが一番である。これは人から教わることもできないし、本にも書いてないが、自分のフィーリングというものは誰にでもあるもので、あると信じていれば、必ず得られるものだ」
それ故に小林は「あなたの文章には、フィーリングがないのです」と老人に告げたのである。小林の講演、「煙草を辞めた話」にあった、原稿を書くということと同じことを小林は眼前のゴルフの名人に言ったわけである。
老人は「上手い!」と膝を叩いた。会心のショットを飛ばしたときのような嬉しそうな顔をした。
「よくわかりました。これでお仕舞い、お仕舞い」と言って、原稿を風呂敷に包んだ。さすがにゴルフの名人である。小林の「文章のフィーリングがない」という言葉の真意をすぐにつかみ取ったのだ。そして老人は「今度一緒にプレーしましょう」と小林を誘ったのである。  しかし、それっきり小林は「ゴルフの名人」とは会うことはなかった。なぜなら、老人はしばらくして亡くなってしまったからだ。 「人生、夢の如し」であったというわけである。
こちらのエッセイ、『ゴルフの名人』も小林の難解な評論とは異なり、とても直でわかりやすい内容と文章である。ゴルフ好きを自認する読者の方々、ぜひご一読いただきたい。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)