2023.3.23

[vol. 20]

心に残るゴルフの一冊 第20回


『全英オープン殺人事件』
キース・マイルズ著 永井淳訳 徳間文庫
セントアンドリュースが舞台となる
本格ゴルフ・ミステリー小説

ゴルフを題材とした長篇推理小説である。それも世界最古のゴルフトーナメントである全英オープン、しかも神が造られた世界最古といわれるゴルフコースであるセントアンドリュースを舞台にした殺人事件である。そうとなれば、ゴルフが好きで推理小説の愛好家には堪らない作品になっていて欲しい。
ゴルフ愛好家で推理小説の翻訳家である小鷹信光氏は本格ゴルフミステリーの定義を概ね次のように述べている。
「第一に出来のいいミステリーになっていて、ゴルフ小説の心を備えている作品。作者はゴルフ狂と呼ばれるほどゴルフにのめり込んでいる人でなければならない。第二に主人公である事件の謎解きは、できれば探偵ではなくゴルファーであることが望ましい」。つまり、ゴルフに詳しいから謎が解けるという筋書きであって欲しいということ。「第三にミステリー愛好家とゴルフ愛好家のどちらもが楽しめるものでなければいけない。さらに第四としては翻訳家がゴルフ愛好家であること」。もちろん、手慣れた訳でなければならない。
この一から四までのすべての条件を満たしているのが、今回紹介する『全英オープン殺人事件』なのである。

作者キース・マイルズ氏とはどんな人?

作者のキース・マイルズ氏は1940年に英国ウエールズで生まれ、オックスフォード大学卒業後、教鞭を執り、その後テレビやラジオ番組などの脚本家を経て、ミステリー作家になった。その最初の著作がこの『全英オープンゴルフ殺人事件』で、ゴルフものはこの本を含めて6冊もある。(日本語に訳されているのは2冊)。この他にアクションものや病院シリーズも執筆。また、彼はエドワード・マーストン名義で演劇界を舞台にしたものや歴史もの、鉄道探偵シリーズなども精力的に執筆している。さらにマーティン・イニゴ名義でゴルフものとテニスものを書いているし、コンラッド・アレン名義、デヴィッド・ガーランド名義の著作もある。現在、83歳だが、まだまだ執筆に意欲的で、非情に多作な作家である。
キース・マイルズは、本書『全英オープン殺人事件』を執筆した30〜40代はとても熱心なゴルファーで、世界中のゴルフコースを旅して周り、コンスタントに70台を出す腕前であった。その後はイングランド南東部の静かな田舎町で執筆にいそしみ、60代の頃は仕事が忙しくなってラウンド回数は少なくなったものの、練習には余念がないと語っている。つまり、本書を執筆したときはゴルフ熱が非情に高まっていたときで、まずは自身が生まれた英国の世界一のトーナメントである全英オープンの、それもセントアンドリュースを舞台にしたものを書こうと思い立ったわけである。

主人公は全英オープンチャンピオンの設定

『全英オープン殺人事件』の原書のタイトルは【BULLET HOLE】。BULLETは銃弾の意味なので、「弾痕」となるが、HOLEはゴルフコースのホールをかけている。「銃弾のホール」というわけだろうが、これでは日本ではなんのことかわからない。全英オープンが舞台の殺人事件だから、翻訳本のタイトルは『全英オープン殺人事件』となったわけである。
主人公は欧州ツアーを中心に戦うアラン・サクソンなるプロゴルファー。小説での全英オープンは1984年のセントアンドリュースで行われたときのことで、このときサクソンはツアー14年目のベテランプレーヤーだった。ツアーデビューした翌年にカーヌスティで開催された全英オープンに優勝していることになっている。英国人が戦後1人しか勝ったことのない全英オープンの2人目となる勝利をもたらしたのだから、若さ溢れる華々しい活躍で一躍スターとなった人物だった。しかしそれ以後はメジャーに勝つことはなく、じり貧の一途で妻には逃げられ、多額の負債を抱えるゴルファーに落ちぶれていた。よって、キャンピングカーでツアーを回る渡り鳥になっていた。
しかし、ようやく調子が戻ってきて、密かにこの全英オープンに賭けていた。戦後2回の優勝を果たした英国人がいなかっただけに、その夢を果たそうとしていたのだ。(実際にはこの小説が世に出たあとにニック・ファルドが二度目の優勝を果たしている)。ところが愛車のキャンピングカーでセントアンドリュースに向かう途中、大学生と称する女の子が無理矢理同乗してきた。コースに到着したあとで、その子がこの車内で何者かに殺されたというわけである。主人公のサクソンはそのとき犯人に後頭部を撲打されて昏倒。愛車も傷だらけにされ、よって自力で犯人を捜そうと決意する。
犯人はサクソンの捜索を快く思わず、彼をライフルで銃撃しようとまでする。そこまでする理由は何か。なぜ女学生を殺したのか。理由がわからないまま、全英オープンが始まる。サクソンはマスコミに追われながらも英国ファンの後押しを受けて懸命に戦い、優勝争いに加わる。プロゴルファーであっても不屈の精神を持ち合わせているところがミステリーには欠かせない。殺人事件と試合が絡み合って、どんどん面白みがアップする筋書きである。
ストーリーを話すのはこの辺りにとどめておかないとミステリーの価値がなくなるので止めとするが、話の展開がテンポ良く進むのはキース・マイルズ氏が手練れのストーリーテラーであるからで、読んでいてイメージが湧くのはテレビの脚本家だったからであろう。小鷹氏が指摘するように、主人公の探偵役をプロゴルファーにしたのは上手い作りである。誰が犯人なのか、嫌疑のかかる人物がたくさん登場するので、最後の最後までわからないところは、一級のミステリーであると言っていいだろう。

セントアンドリュース好きには堪らない

殺人事件が全英オープン開催中に行われ、それが世界屈指の名コース、セントアンドリュースだからゴルフ愛好家には堪らない。スコットランドのファイフにあるが、かつてはピクト人の王国だったところ。古くからの宗教都市であり、廃墟となっているセントアンドルーズ聖堂はスコットランド最大の建築物。街並みは趣があり、全英オープンが行われるとき以外はひっそりとした静かな街である。墓地には伝説のプロゴルファー、トム・モリスの親子の墓もある。筆者はその墓に参ったことがあるが、市民が手向けた花が生けてあった。
セントアンドリュースゴルフリンクスには今や7つのコースがあるが、最も古いのが1552年にできたオールドコースである。ここで羊飼いが木の棒で兎の穴に小石を入れたことがゴルフの起源とまことしやかに言われているが、「あるがまま」を理念としているため、今も尚「ゴルフの神様が造られた」と呼ばれるような自然を生かしたコースである。波のようにうねったフェアウェイと、ハリエニシダとヒースの深いラフ、さらには112個にものぼる砂穴であるバンカーがゴルファーにとっては脅威となる。さらに空中のハザードとして絶えず吹き荒れる海風が超一流のプロゴルファーといえども叩きのめし、絶望の淵に追いやるのである。
この『全英オープン殺人事件』でも街の景観ともどもそうしたコースの描写が事細かく描かれている。オールドコースは各ホールに愛称が付けられており、1番ホールの「バーン」でスタートし、9番ホールは「エンド」で、ここからインに折り返す。折り返しの10番は「ボビー・ジョーンズ」、18番のフィニッシングホールは「トム・モリス」の名である。11番の「ハイ」は風が吹き抜ける世界一難しいパー3であり、14番には地獄に落ちる巨大な「ヘルバンカー」が口を開けている。
最も有名なホールは17番の「ロード」である。距離が長いパー4で、セカンドのロングショットが止まらなければ、グリーンを超えて「道」にまでこぼれる。ここから2打で上がるのは至難であり、逆転劇が生まれやすい。ここを無事に通過しても最終はティショットでワンオンできるイーグル奪取ホール。最後の最後に大どんでん返しが生じるわけで、『全英オープン殺人事件』では最終日のこの最終ホールまで勝負がもつれ、しかも殺人を行おうとする犯人が待ち構えているという設定で、優勝の行方共々ハラハラドキドキのエンディングとなっている。

翻訳はゴルフ狂の永井淳が行っている

最後に小鷹氏の『全英オープン殺人事件』が本格ミステリーになったとした翻訳家であるが、これは3日と明けずにラウンドしている永井淳氏。ジェフリー・アーチャーやアーサー・ヘイリーの大作を易々と訳してしまう永井氏は、ゴルフではラウンドの大半を70台で上がるという強者で、本書を「これは面白い」と飛びついたという。
それだけに翻訳が手慣れていて、キース・マイルズ氏のテンポ良いリズムが日本語にも生かされている。主人公のサクソンだけでなく、登場人物は皆いきいきと描かれていて面白さ倍増である。
ということで、ゴルフ愛好家の読者の皆さんにはぜひとも読んでいただきたいミステリーだが、キース・マイルズのゴルフシリーズ二冊目となる『ダブルイーグル殺人事件』は小鷹氏が訳されている。こちらのほうも近いうちに読者の皆さんにご紹介したいと思っている。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は1990年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。