2023.4.26

[vol. 21]

心に残るゴルフの一冊 第21回


『ゴルフ 酒 旅』
大岡昇平著 中公文庫
ティレッタントの真骨頂、
ゴルフと酒と旅に関する随筆集

大岡昇平は明治生まれの気骨溢れる文筆家である。小説家であり、評論家であり、翻訳家でもあった。大学で教鞭を執ったこともあり、私の大学時代の恩師の同僚でもあった。高校時代にアテネフランセに通い、小林秀雄からフランス語を習ってもいる。その頃から詩人の中原中也とも親交が深かった。京都大学文学部に進学、フランス文学を専攻していた。卒業論文はアンドレ・ジイドだったが、その頃からスタンダールに傾倒していた。
企業で翻訳係をしていたが、太平洋戦争が深まった1944年、35歳の時に陸軍に招集され、暗号手としてフィリピンの部隊に配属された。1945年、アメリカ軍に攻められ敗走するもののマラリアに罹り死を覚悟する。昏睡状態の中、アメリカ軍の捕虜となり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容された。奇跡的に一命を取り留め、終戦後、日本に戻ることができた。
戦争での悲惨な体験を小説として書き上げたのが『俘虜記』である。大岡を小説家にならしめた処女作である。その後、大岡は戦争文学の最高傑作とも言われる『野火』を著す。野火が燃え広がる原野を彷徨う一兵士は極度の飢餓から人間の屍を食おうとも考える。戦争の愚かさと人間の悲しみと逞しさを描いた。その後、俘虜となったレイテ島の死闘を描いた『レイテ戦記』は8万人以上が戦死した鎮魂歌であった。大岡渾身の力作である。
大岡昇平は文壇では論争家として有名で「ケンカ大岡」と呼ばれていた。作家などが書く文章に誤認識や記述に間違いがあれば牙を剥きだして噛みつくのである。そのような評判や彼の硬派な作品から、私は大岡昇平という人は常にまなじりを決したような怖い人物だと思っていた。よって恩師が大岡のことを愉しそうに語るのを聞いても、とても面白い人物とは思えなかった。しかし、今回、このCLUB ONOFFのコラムを書くに当たり、大岡のエッセイ、『ゴルフ 酒 旅』を読んでみて、彼のことを誤解していたのかも知れないと思った。
大岡は愉快なところもあり、子供じみたところもあり、大まじめなところもあり、酒好き女好きであり、特にゴルフは自らきちがいというほどのめりこんでいた。もちろん、文学に精通し、芸術全般に造詣も深い。いわゆるディレッタント、好事家であり、芸術嗜好家であり、趣味人である。深く複雑で多面的な人物と言ってよく、明治男にしては長身で痩身、端整な顔立ちの美男子であった。

ゴルフは自己との孤独な戦いである

本書『ゴルフ 酒 旅』は1955年〜75年にかけての戦後の昭和約20年間に雑誌や新聞に掲載された随筆集である。大岡の趣味や嗜好だけでなく、彼の根底となる戦争体験や生来の性格、本職の文学観や批評精神に溢れていて読み応えがある。また、明治から昭和を生き抜いた男の考え方やものの見方には勉強させられることも多い。「日本人とは何か」を問い詰められた気もした。
まずは本書の冒頭から愉しませてくれる大岡のゴルフエッセイに触れよう。何と言っても当コラムはゴルフ本の紹介を旨としているのだから。
大岡がゴルフを始めたのは1955年、46歳の時だった。日本ゴルフ史では1957年に中村寅吉と小野光一の日本チームが霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催されたカナダカップ(現ワールドカップ)で並み居る世界の強豪を打ち破って優勝。戦争に負けた日本国民を大いに勇気づけた快挙だった。この優勝で戦後のゴルフブームが巻き起こるが、大岡はその2年前からゴルフを始めていたわけだった。
丹羽文雄がゴルフの魅力に取り憑かれ、丹羽学校を開いて文士たちにゴルフを教えだしていた。「貧乏こそ文士であり、文士がブルジョワジーのゴルフをするなど何たることか!」と怒る作家もいたそうだが、戦争で楽しみを押さえつけられてきた面々にとっては広大な美しい緑のゴルフ場でどこまでもボールを飛ばせる快感は何ものにも代えがたいものがあったろう。大岡にとっては戦争でマラリアに冒された体を健康にするにはもってこいのスポーツだったのだ。
では、大岡のゴルフはいかなるものだったのか。「自己克服のゴルフ」の中で語っている。
「僕のゴルフは粘りのないことだった」「生来の気の弱さ、おっちょこちょいなところが未熟な遊技に顔を出しているのかと慨嘆に堪えない次第だった」「僕のゴルフのもう一つの欠点は腰のバランスが悪いことで、大きいスイングがだめなことだった。ティ・ショットは四つに一つはチョロである」「ゴルフは絶えざる自己との戦いである。少なくとも僕にとってゴルフの魅力はほかにない」
これはゴルフを始めて2年が経った頃の感想である。ホームコースは名門、相模カンツリー倶楽部だった。プレーは週に2回は行い、友人とのゴルフ、出版社のコンペなど忙しかった。友人とは握りで勝ちたい、コンペでは優勝したいと、熱心に取り組んでいた。
コンペではその頃若かった石原慎太郎が飛ばしでいたが、スコアを叩くとぼやきが始まったという。大岡はお坊ちゃんゴルフと思いつつ、自分も「ボヤキ・ゴルフ」だったと告白している。囲碁も趣味でアマチュア有段者だったが、こちらも「ボヤキ・囲碁」だった。大岡に言わせればぼやくのは「理想と情熱があるからだ」となる。
「それでもゴルフはやめられない」の最後に語っている。
「好きな仲間の顔を見るのは楽しみだし、冗談口をたたきながらプレーするのも愉快だが、ゴルフは結局自分と球との差し向かいの、孤独な関係にしぼられて来る」

下手な文士らが集まった「吹きだまり会」

『悦ちゃん』や『てんやわんや』などの代表作がある獅子文六は大岡の16歳歳上の作家でゴルフも好きだった。一向に上手くならないので、そうした文士たちと「吹きだまり」というゴルフ会を1958年に立ち上げた。下手が吹きだまっているというわけで、その会だけには入らないぞと思っていた大岡だったが、遂に入会させられてしまう。下手の集まりだけにスクラッチでコンペが行われる。こうなると負けたくないのがゴルファー心理である。
ようやく4回目に優勝したがスコアは95。勝って嬉しいかと言えば、立派な吹きだまりだと自認する哀しき優勝だったと告白している。
とはいえ、「吹きだまり」の良さもある。「吹きだまり三年史」で大岡が書いている。
「『吹きだまり』のいいことは、必ず同じくらいの腕前の奴と組んで回ることである」。これは迷惑をかけずに張り合いの気持ちを保てる良さがあるのだ。
「第二の美点は同病相あわれみ精神に徹していることだろう。とかく相手の失敗をよろこぶのは、チョコレート・ゴルフの必要悪だが、『吹きだまり』ではむしろそれでこそでかした、『吹きだまりだ』となぐさめてやる。自分でチョロしても少しも恥ずかしいと思う必要もない。そしてこれが不思議とスコア向上に役立つ」
「第三のいいところは、総裁獅子文六の奔走で、優勝カップがついていることだ。現在僕の持っているカップ(レプリカ)は十個だが、そのうち四個は『吹きだまり』のカップである。僕なんかまだカップがうれしい頃である。「『吹きだまり』のお陰で、応接間が大変賑やかになっている」
会のメンバーには大岡と仲の良い、今日出海や小林秀雄、中野好夫や角川書店主の角川源義や役者の川口松太郎、島田正吉、歌舞伎の尾上梅幸、女子には白洲正子や工藤節子、三益愛子らもいて、毎回喧々諤々の華やかなコンペだったよう。ゴルフは上手くなりたいものだが、こうした下手同志の勝負も愉しい。それが私たち凡人アマチュアの良さであり、それは大岡の頃も今も変わらない。

胆石で知ったゴルフのための手術法

大岡はゴルフに熱中していた1960年の十月に胆石の手術をした。ゴルフ仲間は心配するも、中には「胆嚢を切ったら胆石でなくバンカーの砂が詰まっていたというのはほんとか」と口の悪いものもいる。大方は「お前がいないとコースが寂しいから早く戦列に復帰せよ」との激励である。
そうしたわけだから、大岡はゴルフに理解のある医師に執刀してもらった。
「胆嚢は右の肋骨の一番下の蔭の当たりにある。大抵はみぞおちから斜めに切るのだが、これだと腹筋の筋を横に切るので復帰後のゴルフスイングに支障を来す。そこで腹の真ん中をみぞおちから真っ直ぐ下へヘソまで切る手術法が取った。胆石も取りづらいし術後の治りも遅いが、これなら復帰後にスイングしても腹がひっつらない」。
よって後者の術式が執られたのである。十二針も縫ったが、回復はいたって順調、四ヶ月半後に文士のコンペに出場した。北風が吹く寒い2月だったが無事にスイングでき、しかも力を入れないからかえってスムーズなスイングになってナイスショット連発。同組の講談社社長から「力を入れずに打つから、球が延びるんですね」などと褒められた。アプローチもパットも好調でスコアも良かった。終盤は体力不足から足がふらついたが、最終ホール最終パットまでまともにゴルフができた。大岡はさぞかしほっとしたことだろうと想像する。
このコラムを書く筆者も病気をして1カ月入院したが、退院後の初ゴルフでそろっと慎重に打ったのが良く、飛距離も出て正確性を増したのには驚いた。普段どれだけ力を入れて打っていたかがわかった。力を入れれば飛ぶものでなく、ミスも多いのである。大岡はドライバーでチョロが多かったようだが、胆石を取ってナイスショットになったのかもしれない。
こうなるとゴルフが面白くなる。大岡は使用するクラブにも工夫を凝らし、当時活躍していたゲーリー・プレーヤーを真似てドライバーを長尺にもしている。大柄な息子のためにこしらえた44インチのドライバーを自分が振ってみると、なぜか上手く打てて飛距離も伸びる。これは息子が初心者だからとバランスをC9にしたことが自分にも良かったのだと気がつき、自分用の長尺ドライバーを新調したというわけである。
当時のドライバーはパーシモンウッドである。大岡がそれまで使っていたドライバーは360g、42.5インチ、フレックスA、バランスD1だった。息子のC9のドライバーは386gもあった。新調したドライバーは43.75インチ、バランスC9の重いドライバーで、大岡はいつもの200〜220ヤードの飛距離から何と230〜250ヤードも飛ばしたのである。クラブ設計家は「おかしいですね」と首を捻るばかりだったが、事実だから仕方がない。こうして大岡は術後には90前半であがれるようになり、半年間にコンペで7回の優勝を記録したのだ。
大岡は「優勝の秘密」の中で証言している。
「結局ドライバーがよくなったせいだと自分では思っている」「今さら言うのもおこがましいが、ゴルフは何と言ってもドライバーが延びなくてはケンカにならない」
さすが「ケンカ大岡」の発言だが、ドライバー次第でスコアが変わるのは世のアマチュアの常である。アベレージゴルファーならばその度合いは大きく、ドライバーが曲がっていれば話にならず、飛距離が出れば楽にプレーできる。このときの大岡のハンデキャップは22。ドライバーが良くなればスコアが良くなるのは自然の成り行きだったのだ。
重量があってバランスの軽いドライバーで飛ばした大岡。これは彼に限ってのことからも知れないが、自分に合うクラブが見つかればショットが良くなるのは明らかである。もちろんそれは、今も然り。この本のコラムを読んでいる方々はぜひともCLUB ONOFFに入会して、自分にマッチするクラブを見つけてもらいたい。フィッティングを行えば必ずや自分にマッチしたクラブが手に入る。CLUB ONOFFでフィッティングすれば、ドライバーの飛距離が20ヤードアップも現実となる。事実、筆者も友人もそうした効用があった。クラブを信頼できれば自信も付く。飛距離も伸び、ナイスショットも増えるのである。

大正、昭和の時代を生き抜いた文士の酒と旅

ゴルフだけでなく、本書にある「酒と旅」の随筆もぜひ読んで欲しい。
「酒」のエッセイの冒頭は「斗酒四十年」。高校時代に初めて酒を飲んだ。若い国語教師とその友人と同席して飲んだ大人の世界。おでん屋には眩しい美人女将がいて先生の傍らにべったり座ってお酌をしていた。さぞかし当時の高校生には刺激的だっただろう。
「以来四十年、私の酒は長い」とし、その酒は祇園などで飲んだ「気分酒」、小林秀雄や河上徹太郎と飲んだ「文学からみ酒」、高いウイスキーをゆっくり飲んだ「いじらしい通い酒」、新聞記者時代の「記者酒」、サラリーマン時代に同僚と悪口を言う「人事酒」、フィリピンでの兵隊時代の「ヤシ酒」、終戦後の砂糖で色を付けたアルコールなど数えあげればきりがないというが、こうした酒遍歴は人生遍歴でもあり、それは酒好きな我々でも同じだろう。筆者も大岡同様、酒に関しては愉しい酒だけではなく、苦い酒、怒り酒、悲しい酒などもあり、このエッセイを読みながら思いに耽った。
また「酒品」では、酒飲みの品格を問うている。河上徹太郎の酒は「からみ酒」。「中原中也の酒」では中原の酒癖の悪さを書いている。おとなしそうに見える詩人も酒が入ると豹変。彼らの「酒品」はひどかったと。大岡もきっと「ケンカ酒」だったに違いない。これを読んだ筆者は「酒品」よろしくしなければいけないと大いに反省した。これはゴルフにおいても然りだろう。
「男は溺れる」のエッセイでは、酒に溺れるだけでなく、女に溺れることも大岡は書いている。本書では触れていないが、実際、大岡は青山次郎や河上徹太郎の愛人で、多くの文士と関係を持った坂本睦子なるバーのホステスと愛人関係となる。男心をそそる儚げな美人で大岡は8年もの間、ずぶずぶと溺れ、大岡の妻が自殺未遂を繰り返してようやく別れたが、その1年後に坂本睦子が睡眠薬で自殺。大岡は彼女のことを『花影』という小説にしている。坂本の友人である白洲正子は「睦子ちゃんがちゃんと描けていない。肝心の魔性が出ていない」と批判している。坂本の魔性ぶりはその後、久世光彦が『女神』で著している。
本書の「旅」に関するエッセイは自分のルーツ和歌山を訪ねたり、東北地方を旅したりといった国内旅行だけでなく、海外も豊富に描かれている。大岡はロックフェラー財団の援助でアメリカに1年以上も留学。その折りに、グランドキャニオンやサンタフェ、ニューオリンズなどを旅している。戦争で日本を負かしたアメリカの援助で旅する矛盾を抱えながらの複雑な心境が顔を覗かせる。戦争を知らない者にとって学ぶことは多い。
大岡はヨーロッパにも何度も足を運んでいる。大岡の学生時代の思い入れのあったスタンダールの故郷、グルノーブルでの出来事も面白かった。また、ナポレオンの生地、コルシカ島が元イタリア領だったことも筆者は知らず、ナポレオンがなぜ皇帝になれたか、ヨーロッパ全土を征服した英雄になれたか、その理由も少々理解できたことも勉強になった。
読者の皆さんも、本書のゴルフ欄を読み終えたら、ぜひ、酒や旅での大岡節を堪能して欲しいと思う。

文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)

※本書は1990年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。