『笑うなら日曜の午後に』
中原まこと著 講談社文庫
痛快ゴルフ小説
ロートル無名プロ対若手スタープロ
中原まことという名前に記憶のある人もいるに違いない。将棋ファンなら中原誠名人をすぐに思い浮かべるだろう。ゴルフ雑誌の愛読者なら漫画原作者としてその名を思い出すかも知れない。そう、週刊ゴルフダイジェストの『中部銀次郎 銀のゴルフ』の原作者である。今回紹介する本、『笑うなら日曜の午後に』はその漫画原作者である中原まことが力を注いだ書き下ろし読み切りゴルフ小説である。
筆者は随分前にこの小説を読んだ。まるで劇画を見るようにイメージが湧く痛快小説だったという記憶があった。「クラブオノフ」で心に残った本のコラムを書いてきて、「そうだ、この本があった」と思い出し、本棚を探して再び読んだ。最初に読んだ以上に面白かった。それは筆者が歳を取り、主人公のロートルプロゴルファー、大滝清一の気持ちがさらに深くわかり、共感したからに違いない。
漫画原作新人賞の佳作入選で執筆家の道に
中原まことは北海道大学農学部を卒業している。会社員を27歳のときに辞め、二人の子供を抱える父親として塾の講師をしながら漫画原作を書いていた。そのひとつが1976年、集英社の漫画原作の新人賞に値する梶原賞の佳作に入選したのである。
しかしその後は漫画原作の連載が決まっても打ち切りになったりで、中原は塾講師も続けていた。そんなときに集英社の編集者が勧めたのがゴルフ漫画の原作だった。スポーツ漫画と言えば野球やサッカーが主流だったが、少年サンデーに『プロゴルファー猿』が登場して人気を博す。1981年にはちばてつやの『あした天気になあれ』が週刊少年マガジンの人気連載となった。1984年には秋田書店からゴルフ専門漫画雑誌、『GOLFコミック』が刊行される。世の中がバブル景気となって空前のゴルフブームとなり、漫画にもゴルフが一大ジャンルとなって行くわけである。
とはいえ、中原には大きな漫画原作の仕事は来なかった。30歳からゴルフを始めたが、集英社の編集者から紹介された月刊ゴルフダイジェストでは超初心者突撃体験リポートの連載。その後は「Z打法」で一世を風靡した若林貞夫プロのゴーストライターだった。しかし、こうした仕事でゴルフがわかりだし、知識も増え、面白さが増してきた所で、とうとうゴルフ漫画の原作、それもゴルフ雑誌の命運を握るような大型企画が舞い込む。それが1989年に連載開始となる週刊ゴルフダイジェストの『千里の道も』である。
漫画雑誌でゴルフが重要なジャンルを占めるようになったが、そのときはまだどこのゴルフ雑誌も漫画を入れてはいなかった。部数を伸ばすために、どこよりも早くゴルフ漫画の連載を開始する。当時の編集長の強烈な意向があり、中原に白羽の矢が立ったのである。絶対に外すことのできない肝煎り企画。中原としても出版社に漫画原作を持ち込んでも不採用が続いていた時期でもあり、人生の勝負がかかった企画であった。
中原は研修生がプロになる過程に興味を持ち、取材を進めるとそこにドラマが存在していることがわかった。こうしたことから、研修生の坂本遼という青年を主人公とした漫画原作を書いたのである。辛い下働きから這い上がってプロになり、過酷なアジアサーキットを回って実力を蓄えていく坂本に共感を抱いた読者は多かった。『千里の道も』はゴルフ週刊誌を支える人気企画となり、その後25年間に渡って続いたのである。
しかし、ここまで書いても『千里の道も』の原作者が中原まことであったと思い出す人はいないだろう。何故ならばこの漫画原作者名は大原一歩であったからである。
中原まことの名でゴルフ漫画が登場するのは1997年からゴルフトゥデイ誌の連載となった『ピンフラッグ』、さらには2000年代に入ってから週刊ゴルフダイジェストに連載された『銀のゴルフ』である。単行本にもなった人気シリーズによって、中原は押しも押されもしないゴルフ漫画の第一人者となったといっても過言ではないだろう。
小説家、中原まこと、遂にしてやったり
ゴルフ漫画原作者として成功を収めるものの、その人気は漫画家の手腕による所が大きいのが漫画の世界である。主人公の一挙手一頭足に至るまで漫画家がいかに上手に描くかで、読み手は物語に引き込まれる。
やはり著述家としては筆一本で勝負もしたい。中原まことはゴルフトゥデイ誌に短編小説を書き始めた。「ゴルフファーたちの話」と題してゴルフの魅力やゴルファーの悲哀を描いた。コンペ前日に興奮してしまう「決戦前夜」、ゴルフを始めた妻が見せる「ガッツポーズ」。ずっとプロになりたかった「研修生」など、その連載から選り抜き30篇が1冊に纏められた。それが講談社文庫から2007年に刊行された『いつかゴルフ日和に』である。
中原自身はノンフィクションよりもフィクションのほうが性に合っていたのだろう。しかしながらこの短篇集は筆者には字数が少なすぎるのか、今ひとつ物足りないものであった。中原の筆力を生かせていない、小咄の寄せ集めと言った感じだったのだ。
しかし、中原は密かに丸1冊となるとっておきの小説を温めていたのである。それが本書『笑うなら日曜の午後に』である。フィクションライター、中原まことの真骨頂がこの作品だ。
前作に次いで講談社文庫から2012年に刊行された。裏表紙にこの本の紹介文が掲載されている。
「これが最後と臨んだトーナメントで、幸運にも恵まれて三日目で首位に立った中年プロ・大滝。2打差で迫る久瀬とは研修生時代を共に過ごした因縁の対決ながら、片や華々しい活躍で人気抜群のトッププロ。台風直撃で中止になればという願いもむなしく、快晴で迎えた最終日。最後に笑うのは?〈文庫書き下ろし〉」
まさにこの通りのあらすじであるが、どこにでもあるような話で、これだけを読んでも読みたいという気にはならないだろう。しかし、実際に読み始めてみればその面白さはたちどころにわかる。ストーリーにグイグイと引き込まれ、これでもかこれでもかという意表を突く展開が待ち受けているのだ。ゴルフというものが極上のエンタテインメントに仕立て上げられているのである。
誰だって浪花節の主人公に肩入れしてしまうだろう
本書の主人公は46歳となるロートルのプロゴルファー、大滝清一である。プロテスト合格までに10年以上もかかり、ようやくプロになってもずっと活躍できない。小柄で朗らかな妻がいるものの苦労の掛けっ放し。遂に遠征費が底をつき、試合に赴けない。ところが、大滝のゴルフは長年の努力が遂に報われようとするかの如く調子が上がっていた。
子作り旅行のために妻の鈴子が小銭を貯めた貯金箱まで壊そうとして自己嫌悪に陥る。そんな折、妻が遠征費を工面してくる。ようやく試合に間に合った大滝は初日から快進撃、三日目を終えて首位に立ったというわけである。
大柄で人がよく、試合に勝てない大滝を、筆者ははじめ、坂田信弘プロのような感じに思えた。さらには安田春雄の弟子であり、シニアになってようやく優勝できた小川清二プロのようにも思えた。中原が描く主人公は漫画原作でもいろいろな人物を彷彿させる。そこが面白い。
大滝に続く2位は同じコースで研修生だった後輩、久世輝彦。先輩の大滝を完膚無きまでに叩きのめして優勝を掠おうとしている。久世は石川遼を彷彿させる好男子だ。
何もかも真逆の二人の研修生時代が物語られる。うだつの上がらない大滝に対し、ハンサムで長身、ゴルフセンスが光る久瀬はスターを約束されたようなゴルファーである。大滝は若い久瀬をプロテストに合格させるために自分が存在していると思う。目前のハードルになろうとして練習に励む大滝は何時しか自分の腕も上げていた。
二人は生き残りを賭けてプロテストに臨む。受かればプロ、落ちればコースからクビを言い渡される。最終ホールまで合格ラインにいた二人に事件が勃発する。それが二人の因縁となるのだ。
祖父もプロゴルファーだったという知らなかった事実
大滝は試合に臨む前に実家を尋ね、リウマチの母に会い、墓参りをした。資金が底をついている大滝はこの試合がツアープロとしての最後になるという気持ちがあったからだ。プロ野球選手として夢半ばで挫折して死んだ父が眠っていた。墓参に行くとみすぼらしい小柄な老人がお経を唱えていた。
老人の名は小曾根正昭。大滝を戦死した祖父の伝造と間違えた。逃げる小曾根を追いかけて話を聞くと、伝造が自分と同じプロゴルファーであったことを知る。田舎にゴルフコースができ、キャディになった伝造はやがてプロになり、活躍する間もなく戦地に行かされた。その戦地がニューギニアと聞き、筆者は小曾根に那須の子天狗こと、今は亡き小針春芳プロを思い浮かべた。
小針を取材したことのある筆者は本人が「わしは死に残り」と言っていたことを思い出した。ニューギニア戦線でほとんどの兵隊が死んだのに自分は生きて日本に帰ったからだった。中原も小針に取材したことがあった。
大柄な伝造はマラリアに罹って動けなくなり敵軍に打たれて死んだ。死に顔は笑っていたという。大好きなゴルフを思い浮かべていたに違いないと大滝は思う。伝造は小さな手帳にゴルフの秘訣を記していた。小曾根から汚れ古ぼけた遺品である手帳を渡された大滝。そこにはいくつかの重要な文言が書かれていた。
「窮地ハ果報ナリ」
「過去ヲ悔ヤマズ、未来ヺ願ハズ」
「呼吸トハ、呼シテ吸スルモノナリ」
「勝利トハ生キテ還ルコトナリ」
初優勝を賭けたトーナメント最終日、大滝は前半に三日目までの貯金を使い果たし、久世に逆転される。一時は優勝を諦めるが、持ち前の粘り腰で優勝戦線に残る。伝造爺さんの言葉を噛み締めたからである。
窮地に陥ったときは余計な欲が消える。過ぎたことを後悔しても仕方なく、未来を願えば虚しくもなる。大事なことは過去でも未来でもなく現在である。今のこの時を懸命に生きる。目の前の一打に集中することだと。重圧がかかれば呼吸が浅くなる。空気を吸いたくても吸えなくなって動悸が激しくなり自滅する。こんなときはまず胸の中の空気をすべて吐きだすこと。吐き出せば自然に吸えるのである。落ち着くことができるのだ。
キャディが名脇役を演じる
大滝のキャディはコースのハウスキャディ、鵜狩幸子。金のない大滝には帯同キャディは雇えない。仕方なくコース専属の女性キャディに頼まざるをえない。しかし、優秀なキャディはコースを熟知している。しかも幸子は太っ腹の腰の据わった女。挫けそうになる大滝を巧みな話術で励ます。この辺りのハウスキャディの話術はとても痛快で的を射ていて、ゴルフ経験豊富な中原ならではである。「いるよな、こんなキャディ」と思わせる。
風が舞っている至難のパー3では「1オンを諦めればいいだろ」と言い放つ。
8番のバンカーで脱出できずにダボを叩いたときには「アウトは1アンダー。久世選手も一緒。差はスタートの時と同じ。全然がっかりすることなんかないんだよ」とうなだれている大滝に一喝食らわすのだ。
終盤の16番パー4では大滝のセカンドショット時に携帯電話が鳴るというアクシデント。スイングを止めたいが止められずに打った球は悲しくフックして左崖下に消えていく。ピンは左。打ち直しはピンを攻めたい。少しでも差を縮めたいからだ。しかし、キャディの幸子は再び打球は崖に消えると確信して青冷める。この時にサッとタオルを差し出す幸子。このタイミングこそベテランキャディだ。携帯電話で頭に血が上っていた大滝は「暫定球を打ちます」という言葉を忘れていたことを思い出す。タオルによって冷静になった大滝は命拾いをするのである。
17番パー3では幸子は頭痛のする大滝の「酸欠」を見抜く。「あんた、さっきから呼吸してないだろ」「脳みそに酸素が回ってない」と言って、深呼吸をうながすのだ。こうして大滝は伝造の言葉を思い出し、深い呼吸ができて落ち着き、何とバーディを奪ってしまうのである。
最終18番ホールで大滝は久世に2打のリード。勝利は手の届く所にあるが、物語はすんなりとは終わらない。パー5のこのホールで久世はピンに当てるスーパーショットを放って2オンのピンそば。後から打つ大滝は2オンを狙うか刻むべきかと悩む。しかし、これは久世が周到に考えた罠だった。何故なら、久世のティショットはドライバーではない。敢えて、大滝の後ろから先に2オンを果たし、大滝にも狙わせようとしたというわけなのである。
果たして大滝はどうしたか。そして、結果は。予想だにしない展開が待ち構えるが、もっと凄いのはショットとはまったく関係のない事件が巻き起こることだ。キャディの幸子がとんでもない凡ミスをやらかしていた。鵜狩幸子の綽名は「うっかり幸子」だったのである。
試合は予想だもしなかったプレーオフへともつれ込む
こうして終わるはずの試合がまったく終わらない。プレーオフへと突入する。粘る大滝を叩きつぶそうとする久世。決着はなかなか付かずにプレーオフは繰り返される。
仕事仲間が大滝の大健闘を知り、鈴子を試合に送り出す。初の試合観戦に開場への入り方もわからず、まごついている所に胡麻塩頭の男が近づく。トーナメントディレクターとなった塩田忠は以前はゴルフライターだった。大滝のゴルフ人生に興味を抱き、結婚式にも参列していた。妻となった鈴子の顔を覚えていたのだ。
ファミリーバッチで無事に会場入り、大滝の大詰めを鈴子と一緒に観戦する。苦難の末に初優勝できるか、心臓の病を押してドキドキの観戦だった。塩田はいつか大滝のゴルフ人生を本に纏めたいと思っていたが、その夢が叶わなくなった今、大滝が優勝するかもしれない。共に大滝を追いかけた相棒のカメラマンは亡くなってしまっていた。塩田は大滝の奮闘ぶりをカメラマンに語っていた。
また、大滝を応援していた元パチンコ屋のオーナー、李爺さんも会場入りして声援を送っていた。大手パチンコ店によって潰れてしまった店。自分の人生と大滝の人生をダブらせていた。
恵まれない人生を送ってきた多くの人が大滝を応援していた。暴力夫から逃れて田舎にたどり着いた鈴子も塩田も李もキャディの幸子も、そして体力限界となっている大滝を応援する中高年ギャラリーもである。
こうした人々を登場させるのも中原小説の巧さ。読者も思わず自分の人生を思い出し、大滝を応援したくなるだろう。もちろん、筆者も同様である。
「頑張れ大滝!負けるな大滝!」
最後の最後、挫けそうになる大滝をキャディの幸子がとっておきの奥の手で励ます。それは自分の提案ができるかどうか、大滝と賭けるというものであった。喧嘩をふっかけるような賭だった。この賭けに乗った大滝が再び熱い血をたぎらせたのは言うまでもない。
不可能と言われる直ドラのショットは成功するのか。それは読んでのお楽しみとしておこう。
この本を読んだ皆さんの感想はいかがなものになるだろう。筆者はそれが知りたくて仕方がない。もしも感動したら、中原まことに、続編を書くよう手紙を出してもらいたい。筆者は大滝と久世のその後のゴルフ人生を読みたくて仕方がないのである。
文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)
※本書は2012年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。