『フェアウェイの悩める警部』
バリー・コーク著 山本やよい訳 ハヤカワ・ミステリ文庫
あっという間に読み終える、
英国のエンタメゴルフミステリー
ゴルフレッスン書ではない、愉しい読み物を紹介するこのコラム。今回は英国のゴルフミステリー小説である。さすがゴルフ発祥の国だけに、アガサ・クリスティをはじめ、著名なミステリー作家がゴルフものに挑んでいるが、この『フェアウェイの悩める警部』は歴史小説家として地位を確立したバリー・コークが初めてミステリー小説に挑んだ意欲作である。
窓際に追いやられていたゴルフ好きの警部がとあるトーナメントに巻き起こった殺人事件を解決することになる痛快ミステリー。ゴルフ好きには堪らない面白さで一気に読み終えてしまう。著者が生まれ育ち、この小説の舞台となる英国だけでなく、アメリカでも評判を呼び、すぐに次回作『謎めく孤島の警部』もヒット作となる。処女作も2作目もアンガス・ストローン警部が活躍するシリーズで、これらは訳本があるので、今回の『ファウェイの悩める警部』でファンになった人は2作目もぜひ読んで欲しい。ゴルフ文化の高い英国と米国では3作目以降も続々と出版されている。日本でも翻訳されて欲しいものだ。
著者のバリー・コークはロンドンとニューヨークの出版業界で活躍していた人物で、1970年にビジネスの世界からフルタイムの作家になった。歴史小説でヒット作を書き続け、今回のゴルフものミステリーに挑んだ。何故なら、彼の趣味がゴルフとクルマだったからである。それだけにプロたちのプレーぶりはリアルに描かれているし、トーナメントの裏側も詳しく書かれている。警部の愛車がマセラッティというイタリアの超高級車なのも彼の好みを反映している。重要な場面で意外な活躍をするのである。
翻訳を行った山本やよいさんは『オリエント急行の殺人』や『五匹の豚』『書斎の死体』などアガサ・クリスティものを訳している、また『謀略のカンバス』や『英国のスパイ』などのダニエル・シルヴァの作品、『ペインフル・ピアノ』などサラ・パレツキーのミステリーシリーズも訳している。経験豊富なだけに訳は実にこなれている。スイスイ読めるのは山本さんの力量があってこそだろう。ちなみにゴルフはやらないらしい。今回の小説のゴルフ用語に関しては翻訳仲間の助けを得たようだ。しかし、私には1点だけ腑に落ちない訳があったが、それをゴルフ好きの読者の皆さまが気がつくか、興味深い所である。
窓際警部、アンガス・ストローンとはいかなる人物か
この小説の主人公はアンガス・ストローンという警部。ロンドン近郊の警察署に勤めている。元は事件現場を任されていた警部だったが、銀行強盗事件で強盗犯に散弾銃を肩に撃たれて、リハビリしても肘が満足に曲がらない。それ以来、警察署で内勤を命じられている。
ゴルフの腕前は全英オープンにアマチュアとして出場、最終日前日まで優勝争いをしたこともあるというものだったが、この事件以来、元のようなプレーはできない。それでも現在のハンデは6というから小技などに優れたものがあるのだろう。
つまらないデスクワークでストレスが溜まる中、好きな歴史小説でも書いてやろうと思い立ち、12世紀を舞台としたものを書くと、それが大ヒット。巨額の印税で古い荘園主の別荘を買い取り、マセラッティに乗るという優雅な一人暮らし。愛猫はアビシニアン種のラムセスで、冷蔵庫を勝手に開けて何食わぬ顔でサーモンを平らげる。そんなお茶目な猫は、妻と別れ、愛する息子と離れ離れになるという寂しい生活を癒やしてくれるのである。
優雅なのに憂いを帯びている中年は女性の母性本能をくすぐるのであろう。ストローン警部はおそらくなかなのハンサムでもあり、それだけに女性にももてる。それもなかなかいい女にである。この小説ではポリー・アブルビーというスタイル抜群のトーナメント開催企業の広報レディといい仲になるし、自分の小説を管理するマネジャーでもあるツンデレ女史、ローリー・ウィルスンとは恋仲になってしまう。独身だからいいのだろうが、こんな警部、ほんまにいるんかいなという羨ましさである。
プロトーナメントで事件が次々と勃発していく
ストローン警部は休暇で好きなゴルフをゆっくり愉しもうとしていた矢先、プロトーナメント開催を控えた「ロイヤル・ウェスト・ウェセックス」という名門ゴルフクラブの支配人に呼び出される。支配人は派手なウェアを着込んだアラン・サーストン。アフリカでビジネスを成功させたやり手である。
サーストンに呼び出されたのはゴルフコースのすべてのグリーンが何者かによって切り裂かれていたからである。大きく左から右に切り裂いてから斜めに
切り下ろす。トーナメントはタムワース・エレクトロニクス社が行う「タムワース・クラシック」という大会で、グリーンの引き裂きはその「タムワース」の会社ロゴであるギリシャ文字のTのイタリック体なのであった。となれば、このトーナメントを阻止するべく嫌がらせをしたい人物が犯人だと、サーストンは目星を付けていく。
犯人が特定できた所で、トーナメントは無事に開催するかと思えば、今度はバイクをグリーン上に走らせてブレーキング、芝をずたずたにしようとする輩が現れる。たまたま夜間パトロールをしていたストローン警部が何とか阻止したが、まだまだ油断できない状況。しかし、この犯人もバイクから特定して無事に逮捕できた。
ところが、今度は練習ボールが爆発するという人身事故もあり得た事件が起きる。そのボールはたまたまボールテスト用の打撃ロボットが打ったため、事なきを得たが、誰が何のために行ったのか。さらに、捜査するストローン警部の愛猫のラムセスが自宅で殺される。しかもストローン警部の十字弓が盗まれていた。何者かが警部のマナーハウスに侵入したのである。
ストローン警部危うし、遂に殺人事件が勃発する
そうこうするうちに「トーナメント開催を中止せよ」の脅迫状が届く。新聞や雑誌の活字を切り抜いて文章にしたものだった。同時にアミノトリアゾールという枯葉剤が何者かによって注文されていた。ゴルフコースが雇う耕種学者、キース・フレッチャーがいなければ、肥料と間違えて蒔いてしまうところだった。枯葉剤は土壌を完全な不毛にする恐ろしい薬剤。コースの土をすべて入れ替えなければならなくなるのだ。こうなればもはや悪戯では済まされない。
不穏な空気が流れる中でもトーナメント前夜のパーティはそれを忘れるかのような賑わいだった。ダンスパーティが行われ、アルコールが入って誰もがいい気持ちになった所で、カート競争がチャリティで行われることになった。美人の広報レディの運転でカートに乗ることになったストローン警部。夜のコースを疾走させると、不審な影がバンカーに。それは耕種学者、フレッチャーの死体だった。遂に死人まで出てしまったトーナメントとなった。
検死官の所見は偶発事故だったが、ストローン警部は納得できない。脅迫状の活字から印刷所を割り出し、出版社と雑誌まで特定していく。この結果、耕種学者フレッチャーが夜中にコースにいた理由がわかってくる。それは思いもしない彼の趣味だったのだが。それを突き止めようとフレッチャーの部屋に忍び入るや、ストローンは何者かに頭を撲打される。その隙に18番グリーンがまたもや掘り起こされていたのである。
一連の出来事は同じ人間の仕業なのか、それとも違う人間か。単独犯か複数犯か。謎を解こうとするスタローン警部は謎に包まれた広報美人、ポリー・アプルビーを食事に誘い、自宅でさらに飲もうと誘う。彼女が自分の車に煙草をとりに行ったとき、何者かによって十字弓で殺害されてしまう。弓矢で串刺しにされた惨い死に様であった。
大金が絡むトーナメントは中止などできない。
開催中止を訴える脅迫状と死人が二人。二人目は明らかな殺人である。それでもトーナメントは開催される。たくさんのスポンサーが協賛している。プロも終結しているのだ。もはや中止などできるはずがない。
それにしても犯人の本当の狙いは何なのか。単なるトーナメント中止が目的だとは思えない。ストローン警部は一連の事件の関連性を考えながら、あらゆる可能性を捜査していく。
そこで浮かび上がってきたのがセリーナ・デ・クルーズという黒人女性とビル・サディックという黒人選手である。さらに左翼政党の議員と殺されたポリー・アプルビーの関係。事件は思わぬ展開を見せてくる。わかってくるのはサディックが犯人に狙われているということ。
こうなるとゴルフ経験豊かなスタローン警部がサディックの警護に当たることに。トーナメント最終日、警部はサディックのキャディに抜擢されるのだ。そうするうちに、あることに思い当たる警部。昼休みに睨んだ場所に急行するや、ほぼすべてが解明できた。とそのとき、警部は瞞されて密室に閉じ込められる。散弾銃が撃たれ、火が放たれる。絶体絶命のスタローン警部。
さてさて、警部の命はどうなるか。観客の命は?選手たちの命は?そして、トーナメントは無事に終わることができるのか。
この辺りは読んでのお楽しみということで、筆を置くことにしよう。
文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)
※本書は1990年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。