『デューク』
ピーター・アリス著 水上峰雄訳 新潮文庫
落ちぶれていたビッグスター、
デューク・デントンの復活再生の物語
今回取り上げる『デューク』は、英国のプロゴルファーだったピーター・アリスが書いたゴルフ小説である。落ちぶれてしまったかつての超ビッグスターである主人公、デューク・デントンが初めて開催される「世界選手権」で復活優勝を遂げられるかという物語である。
そう書けば、息詰まる試合シーンが物語の中心かと思えばさにあらん、本書は世界最高のプロゴルフトーナメントだからこその、舞台裏の人間ドラマがたっぷりと描かれている。名誉と金に絡む人間たちの欲望と醜さが執拗に書き表されているが、それを可能にしているのは著者であるピーター・アリスが一流のプロゴルファーであったからである。しかも、アリスは現役引退後、テレビトーナメント解説者として活躍したマスコミでも働いた人物だからである。
ゴルフトーナメントに関わる人間たちの裏表を知り尽くした人間だからこそ書けた快書と言っていい。その人間というのは、プロゴルファーは勿論のこと、妻やキャディ、マネジャーやプロモーター、スポンサー、ファン、そして愛人や娼婦などである。そんな人間たちの生臭い生き様が露骨に表現されている。ある種のスポーツハードボイルド小説と言ってもよい面白さである。
ただし、本のタイトルが『デューク』では、手にとる人は何が書かれたものかがわからないだろう。確かに原書のタイトルは“THE DUKE”であるが、架空の人物である以上、読むまではどんな人物か誰もわからない。私が編集者ならタイトルは『GOLF-MAN デューク 魂の復活』とでも付けたい所である。『MAN』としたのは、“YOU ARE THE MAN”(読みは「ユーダマン」となる)の「あんた、男だねえ」「あんたが大将」「あんたは凄い」の意味での“THE MAN”である。原書に付いている“THE DUKE”の“THE”もそういう意味だったろう。「あなたこそヒーロー」だというわけである。
著者ピーター・アリスという人物について
物語の具体的内容に入る前に、著者であるピーター・アリスについて知っておこう。アリスは1931年2月28日、ドイツのベルリンで生まれたが、生粋のイングランド人である。お父さんのパーシー・アリスも有能なプロゴルファーで欧州で何勝もし、ライダーカップにも出場している。そのパーシーはピーターが生まれたときにはツアーを退いて、ドイツのゴルフクラブのプロになっていた。ピーターにはアレックという兄もいるが、彼もプロゴルファーになっている。
家族はピーターが1歳のときにイングランドに戻り、彼は南部の私立寄宿学校に入学した。しかし、父のようになりたいとプロゴルファーを目指し、14歳で中退、16歳のときに父が務めるドーゼット州のファーンダウンGCのアシスタントプロになった。この1947年には父と共に全英オープンに初挑戦、今年の全英オープン会場となったホイレイクのロイヤル・リヴァプールGCでプレーしたが、予選落ちを喫している。その2年後の1949年から2年間、イギリス空軍に従事した。
アリスは再びプロツアーに戻り、1952年から1969年までの18年間で全英プロ選手権を含め、20もの優勝を英国ツアーで成し遂げた。もっとも獲りたかった全英オープンは優勝こそなかったものの、トップ10入りが5回ある。
欧州では1956年にスペインオープンに優勝、58年にはイタリア、スペイン、ポルトガルのいずれものナショナルオープンで3連勝を成し遂げている。アメリカのPGAツアーでも1957年に優勝を成し遂げている。英国と海外で通算31勝を挙げている。
これだけの選手であるからして、当然、英国代表選手としてライダーカップにも出場している。1953年、22歳の若さ(当時史上2番目)で初出場を果たし、2度目の出場となった57年にはアメリカを破って優勝に貢献、以降69年まで毎回の通算8回に上る出場を果たしている。
これほどの英国を代表する名選手であったアリスに突如襲ったのがパットイップスである。2度目のマスターズ出場となった36歳のとき、アーメンコーナーの11番で突然、パットを持つ手が硬直した。無理矢理手を動かして打ったら何と4度打ち!スコアは11で、あまりの恥ずかしさと情けなさに笑みを浮かべたという。この悪夢は次からのトーナメントでもぬぐい去ることはできなかった。38歳のときに遂にフルタイムのツアー生活から引退、全英オープンなど主要な大会には出場したが、47歳となった78年にゴルフトーナメントの解説者に転向した。アリスは英国放送、BBCの主任解説者となったのだ。
アリスは師と仰ぐ名解説者、ヘンリー・ロングハーストを手本とし、言葉は少ないが的確なタイミングで話した。「アメリカの解説は喋りっぱなしでうるさい。
実況と解説が情報を出し合い、まるでケンカをしているよう。視聴者と一緒になってじっくり試合を見ながら、必要なときに語るべきだ」というのがアリスの解説哲学だった。
実際、正式な解説者になる前年の全英オープンはジャック・ニクラウスとトム・ワトソンがターンベリーで「真昼の決闘」を行ったが、この激闘の最終ホール。沈黙して見守ったアリスはピンそばに寄せたワトソンのショットのあと、「エレメンタリー、マイ・ディア、ワトソン(初歩的なことだよ、親愛なるワトソン君)」とシャーロック・ホームズの名台詞を放っている。このようにインテリジェントな喩えやウイットに富んだジョークも交えたアリスの解説は“THE VOICE OF GOLF(ゴルフの声」”と謳われた。もちろん、発音はキングズイングリッシュである。
アリスはこの他、ゴルフコースの設計にも情熱を注ぎ、75以上もデザインしている。その中にはライダーカップの舞台となった「ザ・ベルフライ」なども含まれている。アリスの設計は非常に戦略性に富んだタフなものが多いという。
また文筆家としても才能に恵まれており、プロゴルファーの経験を生かしたゴルフレッスンからゴルフコースガイド、解説者の経験から世界のプロたちの実情やトーナメントドキュメント、ユーモアを生かした小咄集などの本が数多く出版されている。もちろんその中に今回の『デューク』ような小説もあるのだ。
こうしたことが認められ、アリスは2002年にボーンマス大学から名誉文学博士号を授与され、2003年には『ピーター・アリスのゴルフ・ヒーローズ』が英国スポーツブック賞を受賞している。文武両道の多芸多才の人物なのであった。
勇猛果敢なヒーロー、「俺がデューク」、男の中の男
ここからは本書『デューク』に登場する人物を具体的に紹介していこう。まずは主人公のデューク・デントン、プロになってすぐにUSオープンに圧勝したというアメリカのプロゴルファーである。常にピンを狙うという勇猛果敢なプレーぶりで一躍スターダムに上り、その後、朝鮮戦争に志願して多くの同胞を助けたことで国民的英雄となったというヒーローの中のヒーローである。
デューク・デントンはアーカンソン州のムーニィズマウンテンにあるコースキャディだった。両親は知らないし、いなかった。なぜならある日、孤児院の階段に捨てられていた赤ん坊だったからだ。発見したのが、牛乳配達のデントンだったため、その名が付いた。親がいない子はキッドと呼ばれたため、少年時代はキッド・デントンだった。あるとき、凶暴な競争馬を乗りこなしたため、牧場主から「侯爵にしてやってもいい」とその日から「デューク」と呼ばれるようになったのである。
プロゴルファーになるのが夢で、キャディでいながら地元の試合に出場しようとした。それを「田舎者がキャディの分際で」と罵ったのが、トーナメントプロモーターのサム・ロスの息子、プロゴルファーのダニーだった。デュークはこれまで一度もレッスンを受けたことはないし、コースを回ったこともなく、小屋のような自分の家の脇で球打ちをするくらいだった。
しかし、いざデュークが試合に出るや、過去2年連続優勝していたダニーをプレーオフでコテンパンにやっつけた。それもミラクルと言えるような谷越えのショットをピンそば50cmにピタリつけての優勝だった。この大胆不敵な攻めが、その後のデュークのゴルフ流儀になっていったのである。
しかし、事は簡単には収まらない。恨みに思ったダニーは友人たちと駐車場で待ち伏せ、暴行を働こうとしたが、逆に喧嘩慣れしていたデュークに強烈なアッパーカットを食らい顎を割る。尚も悪ガキに取り囲まれたデュークは窮地に陥ったが、それを助けたのが後にデュークのキャディとなる巨漢の黒人、アラバスター・ブラウンだった。
ブラウンは恐ろしい顔の男だったが、実直で妥協を許さないタフガイだった。とはいえ、ピアノをロマンティックに弾く男でもあり、朝鮮戦争後はクラブで働いていた。このクラブで妻となる美しい歌手と出会うのだが、事件が勃発する。その事件が因で再びデュークのキャディになることになるのだ。ともかくも、勇敢で曲がったことが嫌いな性格は、このコンビを強固な絆にしたことは間違いのないことである。
デュークはUSオープンチャンピオンにもなり、妖艶な妻ももらい、人生は順風満帆に思えるが、ある日、目に入れても痛くない一人娘を失う。自分のせいだと後悔するデュークは酒に溺れ、奈落の底に落ちていくことのだった。
トーナメントに関わるその他の海千山千の人間たち
そんなデュークの代わりに現れた若きスターがジョニー・コーネルである。スイングは美しく、技術はピカ一で次々に優勝をかっさらっていく。ハンサムで長身だから女性にも大もてで、しかもセックスも無類のテクニシャン。このあたりのピーター・アリスの描写は実に巧みで、たっぷりと大人の世界を堪能させてくれる。
この他にトッププロとして、青木功を彷彿させる田名木富士夫やデュークを敬う南アのボーイ・ノートン、金を借りたヤクザに脅されるイギリスのビリー・マーティン、「牧師」と呼ばれる偏執狂のオーストラリア人、ジョー・ペイシュなど個性溢れる国際色豊かな選手が次々と登場する。面白いのはイタリア系アメリカ人のニノ・ジャンニで、有能だった選手が突然マスターズでイップスとなり照れ隠しに笑ったところ、それが彼のキャラとなってイップスから抜け出せなくなるという設定で、まさにこのジャンニはイップスで引退したピーター・アリスそのものである。
これらトッププロには女性が群がる。人気の面でデュークに及ばないコーネルはデュークの妻、セックスに渇望していたダイアナを標的にする。ジャンニは日本人の双子の美人を連れ回してイップスでの悪夢を慰めてもらい、「牧師」は童顔の娼婦の虜になっていったりする。主人公のデュークは人物ライターのアン・マーロウという豊満な肉体の女性に惹かれていく。こちらは青春時代を復活させる純粋な恋愛なのだが、著者のアリスはこうしたプロゴルファーという人種の華やかな女性遍歴も本書で描きたかったのだろう。読者にとってはプロゴルフ界の裏側が楽しめるものとなっている。
この他に、プロゴルファーのマネジャー稼業がわかるマイク・ライアンという男も物語の一角を占める。デュークのマネジャーであるライアンは朝鮮戦争でデュークに命を助けられ、しかも戦後、日雇いのブルドーザーの運転手だったところをデュークに拾われるという人物。ライアンはマネジャー稼業で手腕を発揮していくことになるのだが、落ちぶれたデュークを抱えながら、この「世界選手権」でどう立ち回るのかも読みどころである。
まさにマフィアのドンを思わせるゴルフトーナメントプロモーター、ドン・ロスも凄みをきかせる。「殺しはしても強盗はしない」などとほざき、選手たちをすくみ上がらせる。が、デュークだけはどんな脅しを仕掛けても言うことを聞かないのである。
さらにはビジネスコンサルタントと称する詐欺師のジョー・ヴァンデル、有力スポンサーである世界最大の清涼飲料水会社の社長、ジョー・ドーソン、映画プロデューサーのジャック・バートンなどがゴルフビジネスの裏側を見せてくれる。
自分の利益だけをひたすら目論むビジネスマンがいる一方で、プロゴルファーという人種を冷静に見つめる男として、名うての老コラムニスト、レッド・タイラーがいい味を付けてくれる。デュークの全盛期を知るタイラーは、いつしかデュークが娘の死を乗り越えると信じており、この「世界選手権」の覇者になって欲しいと願っているのである。
というわけで、物語の舞台となる「世界選手権」の行方はどうなるのか。練習日、初日、2日目、3日目、最終日とトーナメントシーンは分けて描かれるが、その中に前述したトーナメントに関わる多くの人間たちのドラマを挿入させていくのである。それ故に、単なるトーナメント物語ではなく、ゴルフに関わる人物物語となっている所が、日本の小説ではほとんど見かけない妙味となっている。ゴルフ好きの人なら、それもプロゴルフトーナメントに興味のある人なら是非とも読んで欲しい一冊。それが本書『デューク』である。
ちなみに、本書の著者であるピーター・アリスは2020年12月5日、89歳で他界した。晩年には英国プロゴルフ協会の会長やグリーンキーパー協会の会長、欧州女子プロゴルフ協会の会長に就任している。2005年にはセントアンドリュース大学から法学博士の名誉学士の栄誉を受け、2012年には世界ゴルフ殿堂入りしを果たしている。アリスの死を悼んでトーマス・ビヨンを始めとする多くのプロゴルファーやマスコミ人が追悼の辞を著している。
文●本條強(武蔵丘短期大学客員教授)
※本書は1985年に刊行されました。新刊はないため、amazon などで中古本が購入できます。