2019.03.22
国内女子ツアー開幕戦の前週から現地入りするのは、初めてのことだった。オフトレを兼ねて早々に南国へ渡っている選手たちも少なくない。時間調整がうまく出来たら普段とは違った写真も撮れるだろう。そう考えての自腹遠征だ。
それは大人の建前であって、本音はスギ花粉のない地へ一日も早く逃げ込みたかったからだ。顔が痒くて目覚めると、それから寝るまではティッシュボックスが手放せなくなる。花粉症は辛い、辛すぎる。一日中、モヤモヤ気分が晴れない。だが、沖縄行きの飛行機に搭乗した瞬間に不思議と鼻水が止まる。精神的なものだろうか。
南国・沖縄は本州よりも一足も二足も春が早い。1月には桜祭りが開かれた証のポスターが街角に残っていた。
すっかり花粉症であることを忘れ、10数年通い続けている馴染みの居酒屋へ出向いた。「その顔を見るってことは女子ツアーの開幕だね」とマスターが自慢の髭を撫でながら、一年前にキープした泡盛を出してくれた。
「もう15年くらい経つのかな。(宮里)藍ちゃんの顔を一目見ようと開幕戦の開催コースへ出掛けたことがあるんだよ」。
マスターは懐かしそうな表情を浮かべた。
「それで藍ちゃんとは?」と尋ねると、「会えたし、握手もできたし、応援メッセージのメモも手渡せたんだ」とマスターは目じりを時計針の8時20分にまで下げ、ほほ笑んだ。
「それは良かった。良い思い出になりましたね」。そう言葉を掛けると、マスターは下を向いたのだった。
「俺のメモが悪かったのかな。藍ちゃんは予選落ちしたんだよ。プレッシャーになったのかな…。でも、でもだよ。翌年は、俺はコースへ行かなかったんだ。そうしたら藍ちゃんは優勝したんだ。嬉しかったし、ホッとしたけど、複雑な気持ちにもなったんだよ」。以来、マスターはトーナメント観戦をテレビ中継で済ませるようになったというのだ。
「あれから沖縄県勢は誰一人、勝っていないんだよ。寂しいな」。そう呟いてマスターは厨房へと歩を進めて行ったのだった。
開幕戦開催週の火曜日。練習ラウンドを精力的にこなす選手たちの姿がコースにあった。その前週、ツアー外競技の「UUUMトーナメント リクナビNEXT CUP in 沖縄」で単独2位となった大城さつきは、好調さをキープしていた。好成績に舌も滑らかだった。「大会最終日は悪天候で9ホールに競技が短縮されました。残念…。強風の中でパーオン逃しが1ホールだけですよ。何しろドライバーもアイアンショットも曲がらない。良い仕上がりで開幕戦を迎えられそうです」。
ツアープロ担当者によれば、新ドライバーの調整がうまくいったこととシャフト長を1インチ伸ばした相乗効果で飛距離が10ヤード以上アップしたという。ツアー初優勝を目標にする大城にとって、心強い武器を手にして臨む開幕戦は、地元開催もあって期するところが大きいと感じた。
チームオノフの黄アルムも、李も新ドライバーに対して好感触を得ていた。ともに口にしたのは「飛ぶ」「球が強い」「ランが伸びる」だった。コース環境や天候などによって即導入するかは即答しづらい。練習場での打ち込みや練習ラウンドを重ねるうちに自分のフィーリングと合致するようになれば、大城同様に調子が一段と上向いて行くに違いない。
今季開幕戦は予選ラウンド2日間が曇天、決勝ラウンド2日間は雨に見舞われ、初日から沖縄ならではの強い風が吹き続いた。3日目の10・6m/sが最高風速で、初日も7・6m/sを計測した。そんな状況で黄、李が34位タイ、大城は47位タイでフィニッシュし、4日間戦い抜いた。
「開幕戦に絶対してはいけないことがある。それは予選落ちだよ。自信を失う。オフの過ごし方が良くなかったのかと自問自答を繰り返す。下手をするとダメダメのスパイラルに陥ることもあるからだ。逆にたとえギリギリでも予選カットをクリアーしたなら勢いが付くし、試合で4日間プレーするというのは、練習場で千球分に匹敵するくらい価値があるんだ」。シニア賞金王のタイトルを持つ男子プロから教えてもらった開幕戦の鉄則だ。
そんな開幕戦を今季制したのは、沖縄出身の比嘉真美子だった。15年ぶりとなる県勢優勝。これに刺激され、大城にも相乗効果がもたらされる可能性は高まったはずだ。
「藍ちゃん以来、勝っていない」と嘆いたあの居酒屋のマスターも、また8時20分の目をして県勢Vを喜んでいるに違いない。開幕戦取材を終え、飛行機が羽田空港に着陸した途端に流れ出した鼻水を噛みながら、そう思ったのだった。
(文中敬称略)